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シネマの女は最後に微笑む


ルーサーに捨てられた後、女になりきれなかった身体でも腹を括って女として生きていこう、そして好きな音楽で身を立てようと決意するヘドウィグ。かつらを被りメイクしながら歌うシーンには、ヘドウィグが一生懸命身に付けようとしている「女らしさ」が溢れている。身体的に女として生まれた者も、このようにして「女」を学習していくという点は、トランスジェンダーの女性と変わりない。

ヘドウィグがまず結成したガールズ・バンドのメンバーは、在米韓国人軍兵の妻たち。性の多様性とアメリカという多民族国家を背景にした、セクシュアルマイノリティと民族的マイノリティの絶妙な組み合わせに感心する。

生物学的女性だけが「女」なのか?

そんな折りに知り合った孤独なロック少年トミーに、音楽面でさまざまなアドバイスをしつつ急速に親密さを増していく過程は、年上の女性と若者の恋愛そのものだ。

ここでのヘドウィグはトミーへの愛に溢れ、母親的な包容力さえ見せるが、“彼女”のペニスの痕跡に気づいて逃げ出すトミーの背中に向って叫ぶ「私を愛しているなら私の股間も愛して!」という言葉には胸が痛くなる。

関係が破綻した後、愛は不幸にも憎しみに変わる。一緒に作った曲を歌ってトミーが一人でスターダムを駆け上がっていったのを恨むヘドウィグは、「ザ・アングリーインチ」というバンドを率いてトミーのストーカーと化すが、世間の風は終始一貫して“彼女”に冷たい。

地元のおじさんおばさんがカントリー歌手の巡業ライブを聴きに来るような店にド派手なかつらと衣装で登場し、トランスジェンダーの過酷な半生を生々しい歌詞に叩きつけて観客にドン引きされるシーンは、冒頭から何度か出てくる。



ヘドウィグのパフォーマンスに我慢できず、思い切り差別語を吐いたマッチョな男とバンドメンバーたちが乱闘になる場面で、騒ぎが伝播していき店中がカオスと化す状況は、ヘドウィグの歌がその場にいた人々の日頃抑圧していた欲望を刺激し、解放させた状態を現すものだ。

一方、「女と音楽の祭典」と銘打たれた野外コンサートのトイレの近くでみすぼらしいステージを張っているシーンは、女性たちからの排除があったことを示す。「あなたって本当の女なの? ペニスついてるんじゃないの?」ということなのだ。

男から女へトランスしたヘドウィグの存在が、あちこちで「男/女」の境界線をぐらつかせ、「女」とは一体何なのか? 生物学的女性だけが「女」なのか? という問いを、観る者の内に喚起してゆく。

だがそんなヘドウィグも、過去に自分が受けた愛の支配を「夫」であるイツハクに行使している。どんどんナーバスでヒステリックになっていくヘドウィグから皆が去って行った後、“彼女”に残されたのは体を売ることだけだったが、トミーとの再会から急転直下の展開に。

最後の三つのステージにおいてヘドウィグは、トランスジェンダーの女性に対する差別と表裏一体の好奇の視線の拒否と、過去の辛い清算を経て、自己愛と他者への執着、支配からようやく脱却し、すべてのマイノリティたちへのリスペクトを歌う解放の境地に至る。

「男」も「女」も表象しない、あるいはどちらも表象するかに見えるヘドウィグの後ろ姿は、どこか寄る辺ない。それは性差から自由であることの困難を暗示しつつ、それでも、ユニークな「自分のかたち」を肯定して進めというメッセージだ。

連載 : シネマの女は最後に微笑む
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文=大野左紀子

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