田舎の仕事、働きかたについて思うこと


むしろ都会の人の働き方には、何か大切な部分が欠けているような気がしてならない。

時代を遡って考えてみると、縄文時代の人たちが働くという行為は、自分たちの生きる世界をつくることに他ならなかったと想像する。木の実を拾ったり、魚を捕まえるという「労働」は、そのまま自分たちの「経済」活動でもあったはずだ。しかし、近代化された今、「労働」と「経済」は分断されていて、それぞれに異なるパラダイムが広がっているような気がする。

私が移住して、地方に生きる人たちの働き方や価値観に触れて思うのは、この「労働」と「経済」の、折り合いの付け方を心得ているということである。そして、自分が労働によって手に入れる「経済=幸せ」を、欲張らないということである。

冒頭の話に戻るが、地方では、多くの人が農家や大工、自動車整備士といった、その仕事があることによって社会も経済も成り立つような生業で生きている。ブルーカラーと呼ばれる職種ではあるが、「3K(汚い、危険、きつい)」と称されることには、大きな違和感をおぼえる。



確かに楽ではないし、安定はしないかもしれない。でも、私が普段接している地方の人たちは、おそらく働くことを楽しんでいて、仕事に誇りを持って、毎日を生きている。未来への不安や課題を「糧」とせず、いまこの瞬間に生み出される物事、身近な関係性を「糧」として生きている。

未来から自分の人生を逆算して「消費される時間」を見るのか、いまここにある関係をつくるときの「創造される時間」を見るのか。どこに視点を置くか、価値を置くのかは人それぞれだと思うが、いまこうしてパソコンに向かって原稿を書いている間にも、外で溶接作業をしている職人がいて、ときおり誰かがやってきては、作業を中断して話している。私にはそれが楽しそうに見えて仕方がない。

連載:里山に住む「ミニマリスト」のDIY的暮らし方
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文=増村江利子

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