斎藤隆が大リーグで見つけた、強いチームだけが持つ「言葉と組織」


忘れもしないのは、06年、マイナー契約からスタートしたオープン戦でのことだ。彼は「崖っぷちの36歳」だったと言う。マイナーチームからメジャーに昇格できるのは1〜2人。ところが、その試合で彼はホームランを打たれてしまった。不運にも打球は風に流されてスタンドに入ったのだ。

マウンドを降りると、投手コーチが斎藤に声をかけた。「ああいうのは気にしなくていい。気持ちを切り替えろ」。だが試合後、エディ・マレーという黒人の打撃コーチが斎藤に歩み寄ってきた。マレーは3000本安打・500本塁打で野球殿堂入りをした往年の名選手だ。巨体のマレーが斎藤に聞いた。

「お前は、野球が楽しいか?」

え? 斎藤は怪訝な表情になった。必死にもがいている俺に、「楽しんでいるか」って、どういうことだ。不謹慎じゃないか。グラウンドは激しくぶつかり合う場だろ。彼はそう思った。しかし、マレーは続けて、

「野球を楽しまないで、ここで何をするんだ?」と聞く。そしてマレーはこう言うのだ。「Enjoy Baseball」

崖っぷちの人間に「Enjoy」と声をかける神経を疑ったが、のちにマレーの言葉はマウンドで蘇るようになった。そのシーズンで、抑えの切り札として登板を重ねるようになると、「氷が静かに溶けていくように、楽しむという意味を理解し始めました」と、斎藤は言う。

肩の調子が悪いとき、あるいは緊張する場面ほど、楽しむとは「できない自分も含めて、自分のすべてを知り、受け入れる」ことだと、気づいたという。

「試合中に、あれっ、これが楽しむってこと? と思えるときがあります。例えば、9回裏、抑えの場面で打順はクリーンナップ。どこに投げたらゴロになるか、空振りになるかはわかります。しかし、そこに投げられないときの方が多い。どうしても無理だというとき、では、自分はどうすればマウンドで戦えるか。打者に挑戦すると同時に、自分に向き合い、自分への挑戦でもある。このチャレンジしている時間を楽しんでいることに気づいたのです」

こうなりたい自分を追い求めても、それは決して楽しむことではない。彼はそう思えた。マレーが、なぜ「Enjoy」と言ったのか、わからない。ただ、日本で「こういうミスは避けよう」「これをやったら失敗する」といった禁則事項のような言葉に慣らされてきた彼は、「楽しめ」という言葉など日本で聞いたことがなかった。

メジャーで「楽しむ」を知ると、懐かしい感覚が湧いてくることがあった。仙台で過ごした子どもの頃の記憶だ。自転車のかごにバットとグローブを入れて、河川敷を走り、友だちと一緒に野球をやっていたとき。あの楽しさが蘇ったのだ。
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文=藤吉雅春 写真=苅部太郎

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