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2018.06.30

13試合138失点 もうひとつのW杯で戦った日本代表チームのいま 


ホームレスサッカーからダイバーシティサッカーへ

──海外とは全く状況が異なる日本のホームレスサッカーですが、むしろ近年は様々な領域の人から注目されていると聞きます。組織構造に変化があったのでしょうか。

ホームレスサッカーという名称から「ダイバーシティサッカー」に変えました。15年からはじめたサッカー大会「ダイバーシティカップ」には、ホームレスだけでなくうつ病やLGBTなど様々な社会的マイノリティが集まっています。16年大会には被災者など異なるバックグラウンドをもつ10チーム200人が参加しました。

こうした広がりが可能になったのは、うつ病やひきこもり支援をするNPOとの繋がりがふかくなったためです。ホームレスサッカーもそうですが、個々に活動していたマイノリティのコミュニティがサッカーをきっかけに、ひとつの場に集うようになったんです。それを実現できるのもサッカーの魅力ですね。

彼ら彼女らと一緒にやっているのは、「サッカーを通じて居場所をつくること」です。前述の大会だけでなく、定期的にグラウンドや体育館を借りて合同練習や練習試合を開いていますが、サッカーの本来の良さは、ボールひとつあれば、どこでも誰とでも遊べること。だから諸外国ではサッカーが人と人をつなぐ貴重な資源、社会技術になっています。しかし日本では、都会を中心に公園などの自由に遊べる場所はどんどん減り、グラウンドはお金に余裕のある社会人のチームだけが予約できるという構造になっている。

大人と子どもがフットサル場の予約を巡って競争しているって、なんか変ですよね。サッカーの社会性を開放し、あらゆる人に開かれたスポーツにして、みんなで楽しむことが目的です。

──ホームレスだけで構成されていたサッカーに、あらゆるマイノリティの人が集まる素地ができたということですね。

少し概念的な話になりますが、日本人は、ホームレスとハウスレスを混同していると思います。「家」という物質的な住む場所がないのがハウスレスなら、ホームレスは帰るべき「居場所」という心から安らげる空間や身近な人がいないこと。日本社会が抱える本当の問題は、自分自身の弱さをさらけ出しつつも、互いを認め合うことのできる、安らぎを得られる場所やコミュニティの不足ではないでしょうか。私たちが実践しているダイバーシティサッカーは、その様な社会をつくりたいと思うのです。

『夜は終わらない』『俺俺』などの作品を書かれている作家の星野智幸さんや、六本木アートナイトでディレクターを務めたこともある現代美術家の日比野克彦さんなど、一見サッカーと関係ない人たちもたくさん参加しています。17年、皆さんのお力を借りて新たにダイバーシティサッカー協会を立ち上げました。

コーチ陣もユニークです。大学卒業後にイギリスでコーチングを学んだ人、学生時代にインターンとして参加し自らの経験を論文にまとめた人など、彼らは、近いうちにもっと広い世界で活躍するはず。また、野武士ジャパンで長年選手だった人が、就職先の企業でサッカーチームに入り、楽しくやっているとも聞きます。野武士ジャパンやダイバーシティサッカーというコミュニティの内外で、サッカーを通じた多面的な活動が着実に生まれています。

「社会課題解決のためのサッカー」とは?

──お話を聞いていると、野武士ジャパンがやっているのは、世界のホームレスサッカーが行なっている就労支援とは別のレベルでの社会課題解決のように感じます。だからこそ、多様な人々が集まっているのではないでしょうか。

正直にいえば、私にも「社会課題解決」や「ダイバーシティサッカー」の定義はわかりません。さらにいえば、なんでこんなに多様な人々が集まっているのかもわからない。どんなコミュニティが形成されているのか、「実際に見に来てください」としか言えないんです。こちらが意図したこと以上のことが現場では起きます。練習でも大会でも、緩さもあり真剣さもあり、リズムの変化もありますし、まとめようと思ってもまとまらないんですね。ただ、そういうこと自体が面白いんです。

そもそも「社会課題」とは、もともと存在するものではなく、社会自らによってつくられるものだと思っています。「ホームレス」や「障がい」というのは、あくまで無数にある個人の属性の一部を指す言葉であって、その人の全人格を指し示す言葉ではありません。それを大きなかつ社会的なラベルで括ってしまっているのは、そういう社会で良しとしている人が多いからです。例えば社会で男女愛による家族をつくるのが当たり前だから、LGBTはマイノリティで社会課題だと扱われてしまう。そもそも課題でも何でもないはずですよね。

だからダイバーシティサッカーでは、社会の当たり前をもう一度考える、固定化した目線や価値観をゆるやかに解きほぐす活動として、サッカーのルール自体を変える取り組みも行なっています。例えば、ウォーキングサッカー。試合中に走るのを禁止すると、足に障がいを抱えていたプレイヤーのハンデがなくなり、平等にプレイできます。そうした場で一人一人と出会っていくうちに、彼らの障がいは全く気にならなくなる。勝ち負けにこだわる「競技としてのサッカー」だけでなく、サッカーの「文化・遊び」としての側面を大切にしたいんです。だって、サッカーは高校選手権やプロリーグ、FIFAワールドカップに出る人たちだけのものじゃないはずです。

──ルール自体をハックし、見直すことで、私たちが社会課題の前提としていたものが見えてくると。


出典元:UEFA.com / The UEFA report reflects UEFA’s various social responsibility activities

その通りです。社会包摂とサッカーを丁寧に考えて実践している国の代表や、クラブチームがますます強くなっていますよね。いまFIFAワールドカップロシア大会が盛り上がっていますが、日本のサッカー界の姿勢はあまりダイバーシティに寛容だとは思えません。それは日本サッカー協会のホームページとヨーロッパのUEFAチャンピオンズリーグのCSRページを見比べれば一目瞭然、やはり日本はサッカーの後進国だと痛感します。前者は国民の一致団結を謳いながら代表選手だけしか写っていませんが、後者には子どもや身体障がい者、セクシャルマイノリティの人々がトップページに描かれ、「RESPECT」と表現しています。

いまあらゆる場所で個の尊重が叫ばれていますが、本当の意味でそれが浸透するのは簡単なことではありません。「ダイバーシティ」の定義は人や社会によって異なると思いますが、いまの日本では「組織にとって都合のいいダイバーシティ」が溢れているように思います。ダイバーシティやインクルージョンが専門という人、CSRランキングで上位にランクインしたり国連SDGsに注力したりしているという企業から、私たちに連絡をくれるところはまずありません。

私にも正解はわかりませんし、もしかしたら正解を決めること自体が間違いなのかもしません。ですが、ダイバーシティサッカーが既存のルールを疑う契機になり、マイノリティと呼ばれる人も誰でも皆が気軽に来られる居場所になればと思っています。

文=野口直希 取材協力=蛭間芳樹

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