熊本地震で培われた公務員の志と「ひそかな野望」

熊本県菊池市役所 野中英樹

2016年4月16日未明、熊本地震の本震といわれるマグニチュード7.3の地震が発生した。熊本県菊池市役所に勤める野中英樹は、あまりの揺れの大きさに、生まれて初めて「死」が脳裏をよぎった。いまでも思い返すだけで身震いしてしまうという。

2日前の4月14日の前震でもマグニチュード6.5が観測され、菊池市役所ではすでに対策本部が立ち上がっていた。連続で起きた地震に対応するため、菊池市役所の全職員に緊急連絡があり、当時、広報担当であった野中も招集された。

16日の本震の発生時刻は午前1時25分。野中は妻と13歳の娘、そして8歳の息子を停電した自宅に残し、役所に向かった。役所に到着すると、電気は止まり、真っ暗な状態のなか、大勢の避難者が押しかけてくる非常事態だった。


本震が起きた4月16日の熊本の様子(Photo by Taro Karibe/Getty Images)

給水作業を手伝う子どもたちに涙した

広報担当の野中の役割は、災害情報を収集・記録し、それを発信することだった。連日、朝早くから避難所や災害現場を回って写真を撮り、無線やSNSなどを通じて災害状況を市民と共有した。対策本部の業務に従事するかたわら、徹夜しながら地震や復旧情報に関する記事を書き続けた。

当時、避難所においては、被災者のプライバシーを無視した報道が問題となり、マスコミに対する不信感が募っていた。カメラを首から下げていた野中も、新聞記者と間違えられ、避難者からにらまれたり、憎まれ口をたたかれたりすることもあった。 

本来なら、直接手足を動かして市民を支援したい性分だったが、それでは広報担当としての役割は果たせない。汗を流す職員やボランティアの姿を目の当たりにし、自分の存在意義に疑問や葛藤を感じる日々が続き、次第に肉体的にも精神的にも限界へと追い込まれていった。

そんなとき、野中は自衛隊が給水活動をしている現場を取材する。精神的なショックを受けた子どもたちを和ませるために、自衛隊員が子どもたちと一緒にサッカーをしていた。始めは塞ぎこんでいた子どもたちも、しだいに心を開き、次々とやってくる給水車を見つけると、給水作業を手伝おうとした。

子どもたちに給水の手順を教えるのは少し手間がかかるのだが、自衛隊員は嫌な顔ひとつせず伝えた。子どもたちが手伝うと、水を手にした市民が何度もお礼を伝えて帰って行く。お礼を言われる子どもたちもまた嬉しそうで、人と人が寄り添う暖かみのある世界が突然、視界に広がった。

その光景が映り込んだ野中の目には光るものがあふれ、心の奥底から押し寄せるさまざまな感情に抗うことができず、激しく決壊した。以降、野中は気持ちを新たにして、伝えるべき事実がまだまだたくさんあると、気力を振り絞って働き続けた。
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文=加藤年紀

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