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Forbes JAPAN 編集部 編集長

 
2011年、スキルス性胃がんで余命3カ月と判明したとき、「チャコちゃん、僕の最後の仕事だ。一緒に来てくれ」と、フランス大使館で大使とランチをしたことがありました。友人だったシャネルの社長に大使を紹介すると言われたので、帰任が決まった大使にどうしても会っておきたいというのです。

後になってわかったのですが、ユニクロがフランスに進出していたので、「柳井さんの仕事がやりやすくなる。柳井さんにお返しがしたい」と大使に面会したのです。

その年の7月12日、彼が入院中の病室で封筒に「辞表」と書いたものを用意していました。滝さんが毎日見舞いに来られていたのですが、彼は滝さんと私に「今日、柳井さんがハワイから戻って会社に直行するから、辞表をもっていってくれ」と頼みました。六本木のミッドタウンにあったファーストリテイリングの本社に行く車の中で、滝さんも私も無言だったことを覚えています。

社長室で私と滝さんが辞表を渡すと、柳井さんは封を開けて読んで、「こんなのはいりません」と、右手でポンと机の上に投げました。そして、「佐々木さんはまた戻ってきます」とだけ言いました。

その翌日、リッキーは意識不明になり、もう目を覚ますことはありませんでした。

私、人生はオセロゲームだと思うんです。生まれたときは全部白い状態で、黒が失敗。白が黒に変えられていっても、最後に白に戻せれば、それでいいじゃないかって。あるいは、残された私たちが白に変えていけばいい。本人が亡くなった後に、蒔いた種が花開くことだってあるじゃないですか。

そうそう。毎年一回、箱根の別荘に『力組』といって「リッキーさん大好き男性」ばかりが香港や国内から集まってお酒を飲んで、みんなで雑魚寝をするんだそうです。男性限定なので私は参加できませんが、台所に立っているお手伝いさんにどんな会なのか尋ねたら、こう言うんです。

「毎年、リッキーさんの武勇伝をみんなで語り合うんですが、毎年同じ話で、しかも同じところで笑っていて、オチまで同じなんです。みなさん、本当にリッキーさんを愛してますよね」

来年は私、お手伝いさんに変装して台所に立とうかしらね、ふふふ。


萬田久子◎1958年、大阪市生まれ。78年にミス・ユニバース日本代表。80年のNHK朝の連続ドラマ『なっちゃんの写真館』で女優デビューし、映画、ドラマ、CMで活躍。87年に佐々木力との交際が報じられ、ニューヨークで出産。その後も事実婚の妻として佐々木に寄り添い続けた。

文=藤吉雅春 写真=杉田容子

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