昭和と阪急ブレーブスと「全米球場跡地巡り」

ニューヨーク、ブルックリンのエベッツ・フィールドの跡地(Raymond Boyd via getty images)



エベッツフィールドでホームを回るジャッキー・ロビンソン(Robert Riger via getty images)

ニューヨークでたまたま買った中古本に、エベッツ・フィールド(ブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)のホーム球場)があった場所が紹介されていた。その歴史的な球場があった場所の今が知りたくて、跡地へ行ってみた。球場の区画はきちんと残っていて、そこには巨大な低所得者用のアパートが建っていた。

球場は既に取り壊されていて跡形もなかったが、球場の余韻、つまり輝く照明、観衆のざわめき、ボールがバットに当たる乾いた音、ホッドドッグの匂いが今でも残っているように感じた。子供の頃、父親に連れられた昭和の球場に戻ってきたような、どこか懐かしい気持ちになった。アパートの入口の壁には、ここに球場があったことを示す記念石碑があった。

1958年にロサンゼルスに移転してしまったドジャースの歴史が、跡地に残っていたのだ。この球場で、人種の壁を破ったジャッキー・ロビンソンがプレイした。僕は、ロビンソンが当時プレイしていた空間を歩いていた。

米都市はそれぞれの野球史がある
 
その後、ピッツバーグのフォーブス・フィールド跡地を訪れる機会があった。そこにはピッツバーグ大学が建設されていた。そして、かつてホームプレートがあった場所には、1970年6月28日に行われた最終戦で使用されたホームプレートが埋め込まれていた。1960年にビル・マゼロスキーがワールド・シリーズ史上初となる第7戦でのサヨナラ本塁打を打った場所だ。

外野にあった煉瓦のフェンスとフラッグポールは、球場が取り壊されて40年近く経つというのに、当時の状態のまま、記念碑と共に近くの公園に残っていた。


デンバーのボールパーク・ミュージアムの展示品(photo by 香里幸広)

クーパーズタウンにある野球殿堂博物館には何度も足を運んだ。そこには、全米の球場で使用された座席、回り木戸、煉瓦などが、往年の名選手の使用グラブ、バット、記念ボールなどと共に陳列されていた。僕はまさに宝箱の中にいるようだった。アメリカでは、こうした野球の歴史を後世に残す取り組みが日本よりもはるかに進んでいた。

気づくと僕は、アメリカの野球史への興味がどんどんと深くなり、草創期からの野球史に関する本を読み漁り、球場の歴史を求めて野球博物館、球場の名残を求めて球場跡地へと、全米各地を旅していた。もちろん、そこにはもう球場はない。


クーパーズタウンの野球殿堂博物館の外観(photo by 香里幸広)

しかし、その場所に行けば、球場の痕跡や、球場を見守っていた周辺の建物、つまり歴史の生き証人と出会えた。アメリカの野球史に残る偉大な選手たちがプレイした空間を歩くことができた。時代は異なるものの、彼らと同じ空間を共有しているような気分になり、彼らがそこでプレイしたことを容易に想像することもできた。

なぜなら、その場所には、時代の香りが今でも宿っているからだ。地元の歴史協会などの尽力によって、記念碑が設置されている跡地もある。地元の人々の地元球団とその球場に対する深い愛情を感じることもできる。これらこそ、まさにロスト・ボールパークに秘めた奥深い魅力であろう。

アメリカの各都市には、それぞれの野球史と共に球場史が存在する。この連載では、アメリカの野球史を紐解きながら、古き良き時代のクラシック・ボールパークの魅力、球場跡地に残された歴史の生き証人、更に、そこに宿っている歴史の香りや壮大なロマンをお伝えしたい。

文=香里幸広

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