そうした交流によって、非効率の象徴のように見られていた棚田が外からの目によって再評価されるように、地域の自尊心が回復していった。「当初はみんな、半ば諦めのような気持ちだったと思います」と十日町市長・関口芳史は話す。
「こんなところに住んでいて、自分は損をしている、時代や都会から取り残されている、と。しかし、芸術祭に来た方々からは『素晴らしい場所ですね』と言ってもらえたんです」。
北川も、「観光客は『何より地域の人々と話せてよかった』と言ってくれる」と口を揃える。「住民の方々も作品までの道のりの途中で、美味しい水や、冷やしたトマトやスイカを提供し始めた。これは貨幣と物を交換するのではない、もっと手前にある贈与の関係、経済活動の原点ですよ」。
一方で関口は、「芸術祭はまだ一部の人のものかもしれない」と口にした。これはネガティブな発言ではない。09年の市長就任から3期目の関口は、偶然にも北川がこの地に足を踏み入れたのとほぼ時を同じく、95年に東京から故郷へと戻ってきた。変わりゆく地域の空気を知る彼だからこそ、その未来を見据えているのだ。
「里山の魅力を伝えるところから始めて、第3回(06年)あたりからは地域住民が住んでいるエリアへもスポットライトが当たるようになってきた。山から街の真ん中へも、魅力の発見が“下りて”きたんですね。たとえばJR飯山線アートプロジェクトの『Kiss & Goodbye』など多くの拠点が生まれてきました。
また、住民がいつもは行かない地域に足を運ぶことの効果も大きい。隣の町で何かやっているぞとなれば顔を出すし、うちの地域でもやってみたいという声が上がっていく。出る杭は打たれるのではなく、ボコボコと杭がたくさん出てくると、その地域同士が交流し始めるんです」。
地域芸術祭は、圧倒的な手間と時間がかかる。そして皆から羨まれる先達でさえも、模索の最中にある。この“原点”に向き合うところから、地域経済の明日は拓かれるはずだ。