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2018.06.18

社会主義国キューバの変化に見る「クリエイティビティ」への希望

キューバ・バハマのストリート(Getty Images)


クリエイティビティへの希望

キューバは、国の政治体制、経済システムの課題などに関する批判的な国際評価はあるが、カルチャーの輸出という意味では、ある程度ソフトパワーを活用してきた。奴隷制や植民地化などに晒された歴史的背景から、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパなど、さまざまな地域の影響が音楽やアートシーンにも広がり、ユニークで魅力的なキューバ文化を形成している。

ハバナには、美術館、アートギャラリー、ワークショップなどが点在し、数は多くないが、ニューヨークのブルックリンにありそうな発信スポットが観光客の人気を集めている。



たとえば、ハバナの中心部から少し離れたところには、工場を改装してつくられたアートスポット「Fabrica de Arte Cubano(FAC、キューバのアート工場)」がある。FACは、ギャラリー、バー、ライブミュージック会場などが揃った複合施設で、毎週、木曜日から日曜日の間だけオープンしている。仕掛け人はキューバ人のロックスター、X Alfonsoだ。

キューバ初のファッションブランド、「Clandestina(クランデスティナ)」はハバナの旧市街に店を構えているほか、米国向けにオンラインショップも開設している。ブランド名は、アンダーグラウンドという意味。関係者によると、必ずしも政治的な意味があるわけではないが、いままでにない新しいキューバのクリエイティブなムーヴメントを起こそうという意図が感じられる。

Clandestinaの商品は、古着をアップサイクルしたシャツやライフスタイル雑貨が主流だが、「Actually, I’m in Havana(実は、いまハバナにいるんだよ)」といったようなフレーズが大きくプリントされていて、チェ・ゲバラのTシャツや国旗柄のアイテムなどとは異なり、トレンド感ある土産物として欧米の観光客にも人気があるようだ。ショップの奥はワークショップとなっており、製造の一部が現場で行われている。



「競争を勝ち抜き生き残らなければならない、というドグマ(思い込み)に影響を受け、自分の気持ちを抑え込んで生きるのをやめさえすれば、ほんとうはみんな楽しく生きていけるのだ」

これは、連続起業家の孫泰藏氏が、先日、自身のフェイスブック上で、一般公開設定で投稿していた言葉だ。

「これからの時代にどう生き残るのか」「どんな能力を身につければ生き残れるのか」といったメディアの課題提起に対して、的外れだと批判する文脈での発言。これ自体はキューバとは無関係だが、彼の言葉とハバナの街角で目にしたクリエイティビティのうねりは、つながるところがあるような気がしてならない。

手に入らない部品を作ってでも、クラシックカーを何十年にも渡って修理し続けること。音楽やアートを生み出し続けること。物や情報の新たな流通経路をつくること。筆者が目にしたキューバのクリエイティビティは、いわゆる資本主義の文脈のなかに必然的に存在する「競争を勝ち抜き生き残らなければならない、というドグマ」に囚われていない。

だからこそ、彼らは変化に対しても柔軟であり、偏ったイデオロジーに晒されながらも、手段が限られていても、クリエイティブであり続けてきたではないだろうか。

塩野米松著の『中国の職人』には、文革時代も淡々と工芸を作りつづけた急須職人や人形職人の話が描かれていた。キューバや中国を見ていると、どんなシステムにおかれていても、それが一つの「主義」に基づいたものである限り、そして暴力行使の直接的影響が限られていれば、人はクリエイティブであり続けられるのかもしれない、という少し楽観的すぎる希望をも抱いてしまう。それは、最近、対外情勢が一変している北朝鮮の人々に対する希望であり、政府のガバナンスが必ずしも機能していないアフリカ大陸の一部の国々のシステムに生きる、若者達に対する希望でもある。

キューバという国が今後どのような政治経済体制をとるにせよ、インターネット普及と観光客の増加などによって、より一層、他国の影響は国内に広がるだろう。その結果、キューバの人々の創造の可能性がさらに広がるとしたら、それはキューバにとっても世界にとっても良き変化かもしれない。

連載 : 旅から読み解く「グローバルビジネスの矛盾と闘争」
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文・文中写真=MAKI NAKATA

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