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2015.03.06

中国・南シナ海進出を正当化する「鄭和の大航海」




日の出の勢いの中国は、領海について強硬に主張するようになっている。強くなった中国が、自国の領海に関して、これまでの決定事項を受け入れるとは思えない。これは驚くようなことではないが、中国の近隣諸国とアメリカを含むステークホールダーにとっては、望ましくない事態だ。

 中国、ブルネイ、マレーシア、フィリピン、ベトナムは、南シナ海において、長い間にわたって領土や海事で紛争状態にある。フィリピンは、国連海洋法条約に基づいて、国際調停の手続きを開始した。仲裁裁判所の手続きが進んでいるが、中国はヒアリングに参加していない。
交渉で合意できないのであれば、国連海洋法条約を含む、これまで積み上げられてきた国際法や法原則に基づいて紛争が解決されるのが理想である。果たして、国際司法裁判所のような法的機関はその役割を担えるだろうか。この点、中国やアメリカなどの大国は、一般的に国際司法裁判所や類似の機関の司法権を認めないということは念頭に置く必要がある。
復活した中国は、自国の領海が第三者によって決められることを二度と許さないだろう。これらの海域における中国の歴史的存在に基づく自らの主張が、中国が弱体化していた時に決められたルールによって判断されることを認めるとは思えない。
また、中国は、フィリピンと中国の間の紛争を巡って、アメリカが現在の良好な米中関係を危うくすることはないと判断している。

 なぜ、南シナ海の岩礁に対して、突然関心が示されるようになったのか。これらの岩礁周辺で、ガスや原油が採れるか、魚が捕れるからだろうか。問題は、岩礁や資源以上のものにある。中国は、南シナ海を自らの重要な権益とみなしている。日の出の勢いの中国は、これらの海域に対する自らの歴史的権利を主張することで、自らの地位を主張しているのだ。そして、これらの紛争は、異なる原則に基づく主張から生じているため、解決されることはなさそうだ。
南シナ海は、世界の貿易量の三分の一が通過する非常に重要な海洋交通ルートである。多くの国々が、そこに重要な利害関係を有している。それには、航行と領空飛行の自由、紛争の平和的解決が含まれる。不運な事故や事件を防止することとは別に、異なる利益を管理する枠組みをつくられなければならない。

 中国が歴史的な権利を主張する背景として、ずっと以前、すなわち、クリストファー・コロンブスがアメリカに上陸し、バスコ・ダ・ガマがインドに到着する以前に、中国の艦隊が何をしたかを考える必要がある。6世紀以上前、明朝の永楽帝は、世界の国々を探検し、貿易を行うために、大艦隊を送り出した。永楽帝が航海の司令官として選んだのは、宦官の最高職の太監であった鄭和(1371-1433)だった。鄭和は、現在の雲南省昆明市で、イスラム教徒として生まれ、育てられた。1381年頃に明朝軍に捕らえられ、南京に連れていかれて去勢され、その後、当時燕王朱棣であった永楽帝に仕えることになった。
鄭和は、およそ30年(1405-33)にわたって、7度の西方への航海にでたが、その規模と範囲は、前例のないものだった。大艦隊は、南シナ海、インド洋、ペルシャ湾、そして、アフリカの東海岸にまで到達した。これらの航海に使われた船は、考古学的な証拠によれば、全長が120メートルを超えており、コロンブスが大西洋を航海した船の何倍もの大きさだった。
これらの航海によって、明朝の力と富がいかんなく示された。より重要なのは、これらの航海が、訪問国に長く続く影響を与えたということだ。この地域のモスクには、鄭和と名付けられたものが数多くあり、鄭和の現地社会への貢献を讃えている。

 もし、歴史的な主張によって海洋の管轄権が決まるのであれば、中国人は、600年前にこれらの海域を誰にも妨げられることなく航海した事実を指摘するだろう。

リー・クアン・ユー

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