おそらく最も重要な点は、バリスタに主要な福利厚生を提供することで、離職率を最小化したことだ。従来型の企業は、時間当たりの労働コストと人材採用コストのことばかり考えがちだが、離職率は総合コストの中でも非常に繊細な要因だ。離職率は採用頻度やトレーニング費用を左右するほか、訓練や実務経験に乏しい従業員が最前線に置かれる状態が続けば、顧客体験にも影響が出る。
スターバックスの場合、この点に戦略の照準を合わせたことが功を奏した。従業員中心の視点は、同社が驚くべきスピードで効果的・継続的に拡大できた主な要因の一つと言えるだろう。同社の離職率は最大60%前後で、同じ賃金水準の他の仕事と比べると約半分だ。
スタバの待遇の一部を見れば、労働管理に「雇用の総合コスト」の視点を導入したい企業はどういう制度を持てば良いかが明確に見えてくる。「雇用の総合コスト」とは、標準的な採用・トレーニング・週シフトのコストに加え、離職率と顧客体験を労働コストの一部とする考え方だ。
まず最も重要なのは、平均週20時間働くバリスタ全員が医療手当の対象となり、保険料の約70%や予防医療の100%がカバーされることだ。その規模とパートタイム従業員の保険適用範囲からみて、医療手当としては最も大胆な部類に入ることは否定しようがない。この制度は、投資家の厳しい監視下でも、コスト削減の圧力を受けても廃止されなかった。
同社が非常に厳しい時期を迎えていた2008年、シュルツの次のシンプルな一文が、この投資の規模を物語っている。
スターバックスは、コーヒーよりも医療にコストをかけている
労働市場では、医療コストを抑えるために1週間の勤務時間にわざと上限を設けるのが一般的だ。そんな中、同社のこの戦略は革新的で、重要な福利厚生として大成功を収め、バリスタの離職を抑えた。
また、スターバックスではスケジュールの柔軟性や、週ごとのシフトを従業員が選べることが重視されている。同社のシフトは2週間前に提示され、シフト勤務者の予定と収入が流動的な原因でもある待機シフト制(働くかどうか保証がないまま待機を強制されるシフト)は存在しない。
さらに同社は福利厚生を設定する上で、特定の従業員グループやコミュニティーのニーズを微細な部分まで理解した。例えば中国での拡大戦略の中には、シュルツが「転換点」と呼ぶものがあった。それは、家族のつながりが深い中国の特徴を十分理解し、中国で働くスタバ従業員の家族にも医療サービスを提供したり、「両親の日」を設定したりしたことだ。この微細な視点により、バリスタは同社に残りやすくなった。
マサチューセッツ工科大学(MIT)の講師、ゼイネップ・トンは、従業員に投資すれば顧客体験が向上しコストが減ることを、見識にあふれた論文で示し、「グッドジョブ戦略」という言葉を作った。卓越したリーダーシップを持つハワード・シュルツは、この説が正しいことを証明した。彼の労務管理における考え方は、今後長きにわたり受け継がれるだろう。