「AIより人間が優れている」という自惚れは仇になる

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昨今、アメフトの話題で持ちきりであるが、映画「マネーボール」(2011年)で描かれていたように、今やアメフトに限らず、バスケットボールでも野球でもあらゆる球技で、ビッグデータ分析やAIは既に盛んに用いられている。この選手がこのエリアでボールを持てば、シュート何%、右ドライブ何%、左ドライブ何%、パス何%。だからディフェンスはこうこう、といったように。

ただ、戦術分析にはビッグデータやAIがふんだんに使われている一方、選手への指示はまだ人間の監督やコーチが行っていることが多い。

この背景には、アメフトの楕円球が象徴するように、優れたゲームほど不確実性がふんだんに盛り込まれ、AIやビッグデータ分析では解き切れないよう設計されていることや、過去の名選手への尊敬がモチベーションを生むといった要素もあるだろう。加えて、「結果が出なければ監督やコーチが責任を取る」という「ガバナンス」の要素も大きいように思える。

逆に言えば、人間の読解力を逆手に取って、「解釈の結果に伴うリスクは選手に」というガバナンスになってしまうと、だったら戦術分析だけでなく、監督やコーチもAIにしてしまった方が良いじゃないかと考え始める選手が出てきても不思議ではない。

AIに対する優越感が仇に

人間の読解力は、それ自体は素晴らしい能力かもしれないが、そのガバナンス次第で、社会に利益をもたらし得る一方、悲劇や混乱にも繋がり得る。もともとは決して悪い意味を持っている訳ではなかった「忖度」が、ネガティブな意味で昨年の流行語大賞を受賞したのは象徴的である。

重要なことは、人間とAIは「違う」ということであり、どちらが「優れている」ということではない。「自分(たち)が優れていると思いがち」という「自惚れ」は人間の避けがたい性向の一つだが、ナチスのアーリア人優越観が人間社会に何のプラスももたらさなかったように、「AIより人間が優れている」といった思い込みも、決して良い結果をもたらさないだろう。

人間の「創造力」も「読解力」も、これらを決して絶対視することなく、人間とAIがいかに補完し合っていけるのか、ケースバイケースで考えていくことが大事であると思う。

連載 : 金融から紐解く、世界の「今」
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文=山岡浩巳

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