「この地球上に、まだ見ぬ景色は残されているのだろうか?」
人類がこれまでに打ち上げた人工衛星の数は約8000機。現在も軌道上に5000もの衛星があり、うち約1700機は現役だという。それらが上空から映し出す映像は、いまや見慣れた光景だ。ぼくたちは「神の視点」を手に入れたことを当たり前のように感じている。
だが世界に映像が溢れれば溢れるほど、実際にその場所に行くことの価値が増す。
糸杉が点在する緑の丘陵が青空とコントラストをなすトスカーナの田園風景、リカヴィトスの丘から望むアテネの街とアクロポリス、無数の色鮮やかなランタンの灯りが川面に揺れるベトナム・ホイアンの旧市街──。
どれも検索をすれば簡単に目にすることができる景色かもしれない。だが実際にその場所で長い時を過ごせば、それは何ものにも代えがたいひとつの経験となる。目を閉じれば、その土地の匂いや食べ物の味わいまでありありと思い出せる。そんな人生の節目の旅で目にした光景のひとつひとつが、ぼくを支える大切なピースになっている。
実際にその地に足を運ぶことの価値が高まっているのだとすれば、もっとも価値があるのは、誰もが容易には辿り着けない場所への旅ということになるだろう。しかもそこで目にする光景が、衛星のカメラなどでは映し出せないようなものであるならば、その体験が持つ価値の唯一無二性は極まると言っていい。
ところで、ぼくたちは既にそんな旅をどう呼べばいいか知っているのではないか。
そう、その旅の名は、「冒険」だ。
2016年12月6日、冒険家の角幡唯介は、シオラパルクを出発した。シオラパルクは北極圏のグリーンランド最北にある村だ。先住民が住む集落としては世界最北に位置するという。
グリーンランド シオラパルクの海辺(photo by GettyImages)
角幡が挑むのは、「極夜(きょくや)」の旅。極夜とは、太陽が地平線の下に沈んだまま姿を見せない状態を指す。緯度によってはその極夜の状態が三カ月も四カ月も(場所によっては半年も!)続くという。その漆黒の夜の中に身を置き、真の闇を体験しようというのである。
その命がけの冒険の記録が『極夜行』(文藝春秋)だ。
暗闇の旅と聞いて、もしあなたがモノトーンで単調な物語を思い浮かべたとしたら、その予想はあっさり裏切られるだろう。旅は困難に次ぐ困難の連続で息つく暇もないし、なによりも暗闇がみせる表情が驚くほど多彩だ。これまで本物の闇について何も知らなかったということが本書を読んでよくわかった。