ビジネス

2018.06.05

京都の老舗料亭で学んだ「継承」と「発信」

人が出会い、食事を愉しみ、心ゆくまで語り合う。「料亭」という場の可能性は世界にも通じるかもしれない。


それまでも自分のつくったテレビ番組が海外のテレビ局に買われたり、海外版が放送されたりして喜びを感じてはいたものの、世界という舞台に自分の作品を送り出すことのハードルの高さも同時に感じていた。もし下鴨茶寮のオーナーになれば、京都を舞台にある程度の歴史的背景のある店の日本食をひとつの作品として形づくることができ、世界への扉が開かれるのではないかと考えたのである。

下鴨茶寮は今年、創業162年目を迎える。僕が継いでからはこの3月で丸6年。結果的にどのような変化が僕に起きたかといえば、まず、京都に自分の拠点ができたことにより「京都の者」として京都をどのようにしていくかという視点でものを考えるようになった。

14年には、東京における情報発信拠点「京都館」の館長に就任することになり、京都の人たちとの出会いがさらに増え、京都愛もさらに深くなっていった。

先日は、映画監督のフランシス・コッポラ氏が娘のソフィアさんを連れて久しぶりに来日するというので、下鴨神社内で食事会をした。遡ること数年前、ナパバレーに個人ワイナリーを持つコッポラ氏がワインのプロモーションで来日したとき、「日本食と自前のワインをコラボレーションしたい」ということで僕に声がかかったのだ。

もし僕がただのメディア関係のクリエイターだったら、会ってもらえなかっただろう。「僕も『おくりびと』という映画でアカデミー賞をとりました」と言ったところで、彼の周りにはそんな人は大勢いる。だが、彼は映画監督かつワイナリーのオーナーで、僕はクリエイターかつ料亭の主人だったから、会うことができた。

しかも、お互いに商い人として現場にも比較的関与しているから、話も弾むし、信頼も生まれる。いまでは彼の自宅に泊まらせてもらえるような関係になった。

これはほんの一例であり、僕は開眼されるような魅力的な人とたくさん出会うことができた。人が集う「場」というメディアの力は本当に大きいとあらためて感じた次第だ。

時間と人へのリスペクトを忘れずに

当たり前のことだが、「継承」とは絶やさないことだと思う。絶やさないためには、(ハードもソフトも)傷んでいるところは補修しなくてはいけない。この時代で生き残るために。同じことを続けているから生き残れるかというとそうでもなく、新しいことをやったから生き残れるかというとそうでもない。

やはり、「いま」という時代に合わせながら、かつこれまで築いてきたものを上手に武器としながら守らなければいけないだろう。

そういう意味で、「日光金谷ホテル」は「継承」について教えてくれた“学校”だ。03年、僕はこの日本最古の西洋式ホテルの顧問に就任し、「N35ルーム」という部屋をプロデュースした(連載第2回に詳しい)。このときに「老舗を継ぐ」うえで大切なものを学んだ。特に、これまでに積み重ねられた時間と、現在まで続けてきた人へのリスペクトを忘れないという姿勢を。

だから、何事も急激に変えてはいけないのだ。喩えるなら、いままでのぬるくて少し濁ったお湯を捨てて新しい水から沸かすのではなく、そのお湯に濁りがあるなら濁りをすくっては水を足し、それを繰り返しながらゆっくりと沸かしていくというような作業とでも言うべきか。

大きく変えれば世間の耳目は引くが、現場の反発ややる気のなさも生んでしまう。守りと攻めの常なるバランス、それは場でも無形文化財でも同じことなのかもしれません。

【連載】小山薫堂の妄想浪費
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イラストレーション=サイトウユウスケ

この記事は 「Forbes JAPAN 「地域経済圏」の救世主」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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