7月といえばパリ祭。‘liberté’(自由),‘égalité’(平等),‘fraternité’(同胞愛、共済)のフランス革命だ。
‘liberté’と‘égalité’は対立概念である。経済活動で自由を放任すれば不平等を生む。単純な平等を墨守すれば自由が侵される。そこで、ぶつかり合う自由と平等を止揚するため、近代国家は経済運営に‘fraternité’を生かしてきたのではないか。
バスチーユ監獄襲撃の1 年後、アダム・スミスが息を引き取った。‘liberté’な経済活動の代名詞のように語られるスミスの理論は後世の新古典派に引き継がれ、20世紀後半からの四半世紀にわたってグローバルな市場原理主義が流布された。その行き過ぎは世界的なサブプライム金融危機を呼んだ。
新古典派全盛の時代は、日本のいわゆる「失われた20年」と重なる。
バブル経済崩壊後、日本経済は苦しみぬいた。市場原理主義を旗印にした米国の繁栄に学ぼうと、性急な‘liberté’経済の実現を図ったが目に見える成果は生み出せなかった。
閉塞感がまさにピークを迎えた時に登場したのがアベノミクスだ。So far,so goodである。
この成功の基盤には貴重な準備期間が先行していた。「失われた」と嘆いている間にも、日本の勤労者と賢明な企業は休むことなく飛躍に備えていた。経営は筋肉質となり、損益分岐点を大きく下げた。為替や原料価格の変動に対する抵抗力を増し、グローバルなALMを高度化させてきた。失われた20年ではなく、「脱皮のための20 年」だった。
日本は人類未踏の領域に踏み込んでいる。超高齢化しかり、環境問題しかり、産業のソフト化しかりである。
未踏の領域を開拓して繁栄する超先進国になるためには、‘fraternité’を制度として存分に活用すべきだと考える。具体的には公的部門の「相応な」関与である。
GDP成長の要因は技術革新、人口動態だとされるが、これらに劣らず重要なものが制度だと思う。
明治時代の殖産興業と戦後の高度成長政策は、当時日本が採用した制度がいかに優れていたかを示している。
殖産興業政策であれ、高度成長政策であれ、政府部門の断乎とした関与を特徴とした。戦後高度成長期には、傾斜生産方式や所得倍増計画、日本開発銀行の活用など随所で政府主導型の制度運用が行われた。「官主導」の経済制度は、一国の経済離陸期や危機時に大きな力を発揮する。
問題はその度合いである。現下の日本は、離陸期にはないし危機時でもない。過剰な政府介入は望ましくない。そもそも政府が主導して潜在成長率にどこまでプラスの影響を与えられるか、はよくわからない。しかし、先端分野への投資や民間が取りにくい長期間のリスクテイクには、政府の果たせる役割が相当程度ある。
ノーベル賞学者のマイケル・スペンスは、成長を支える政府の条件として、①経済成長を明確に認識し、②特定のグループではなく多数の人々のために行動し、③効率的でグローバル経済への開放性、高レベルの投資、持続可能な成長戦略を持ち、④経済活動の自由が法や規制政策に支えられていること、を挙げている。
要するに、相応の距離を保った‘fraternité’、民力主体を大前提にしつつ‘liberté’と ‘égalité’のバランスに配慮した‘fraternité’でなければならないという含意である。
アベノミクスの3本目の矢に対しては、移ろいやすい世論の一部に「爆発的効果のある施策がない」との声もある。それは違う。‘fraternité’たる「官」が民の英知を結集し、その権能の限界まで努力しようという姿勢を具体的に示したリストなのである。
リストアップされた膨大なメニューを実行するか否かは、最終的には「民」が決める。新たな民と官の‘liberté’,‘égalité’,‘fraternité’が織り成す錦絵を描きたいものである。