大手百貨店から転職した「日本一負けず嫌いな自治体職員」

生駒市職員の大垣弥生


泣きながら3時間話を聞いた

大垣が「ノック」を立ち上げた理由は、役所へ転職した直後の苦い経験にある。百貨店時代は広告企画が担当業務のひとつであったが、プロのカメラマンやコピーライター、デザイナーなどがそれぞれの業務を分担し、大垣の主な業務は企画などに限られた。

しかし、生駒市役所入庁後、広報誌の改革を任された大垣は、いままで触ったこともなかった一眼レフカメラを持って、取材に出かけて行くことになる。未経験にも関わらず、文章をまとめ、デザインを行いながら、自治体の広報誌をつくらなければならなかった。

大垣は、生駒市初の民間経験者採用枠として入庁したが、当時は先輩職員から「ほんまに何もできひんな」と苦笑いされた。それから、持ち前の負けず嫌いを発揮して、他の先進自治体から貪欲にノウハウを学ぶ。その甲斐あって、生駒市は全国広報コンクールで入賞を重ね、一躍、大垣も前述のように脚光を浴びることとなる。

転職後、大垣が最も苦労したのは、役所と民間企業における組織文化の違いであった。前職では、前年と如何に異なる企画を行うかが腕の見せどころだったが、当時の生駒市では前例踏襲主義が色濃く残り、簡単に新しい取り組みを行うことができなかった。

大垣は、次第に自信を喪失していくが、当時は愚痴を言える同僚もいなかった。「転職鬱」のようになり、毎日、辞表を提出する自らの姿が頭に浮かんだ。しかし、転機は入庁3カ月目にやってくる。

市民活動を紹介する広報誌の企画で、ひとり暮らしの高齢者に弁当を配達する団体を取材した。大垣は市民の熱い思いに胸を打たれ、泣きながら3時間話を聞いて、その感動を広報誌に書いた。

広報誌が発行されると、取材した団体の代表者が役所に来て、「いままででいちばん思いを汲み取ってくれた取材だった。ありがとう」と大垣の上司に言い残していった。

同じ企画でボランティアグループにも取材をした。その団体からも、「広報誌のおかげでメンバーが倍増した」と喜びの声が届く。大垣は地方自治体の仕事は社会人冥利に尽きると実感し、言い訳をせずに頑張ろうと覚悟を決めた。

2016年に異動で広報担当を離れた大垣は、新天地でも改革を進める。現在担当するシティプロモーションと呼ばれる業務は、一般的には転入促進や観光や産業の活性化など市外へ向けてのPRに注力する。

しかし、大垣は生駒に暮らす人同士が楽しくつながる機会を生み出すことで、市民をまちのファンへと変えている。驚くべきことのひとつに、無償にもかかわらず楽しみながら、まちの魅力をPRする市民チームも生まれた。


市民といっしょにパーティを企画

大垣は「自分が暮らすまちを、良いまちだと思えるって、とても幸せなこと」、と言う。地域の衰退が叫ばれる昨今だが、まちを愛する市民が自らまちに関わり、その文化を継承、発展させるのであれば、地域が衰退することなどけっしてないだろう。

文=加藤年紀

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