私はこれからの世界共通の国際語は「英語」「楽譜」「数学」この3つだと思っている。英語と数学がわかっているとプログラミングも理解しやすい。
このように、全てのものが理数系と文系に分けられるはずがない。それなのに学校教育の時点で分かれてしまうのは違う気がする。20歳前にもならない高校生の時代に、大学の進路とその先を、理数系か文系と決めてしまうのは、あまりにその後の人生を焦っているのではないだろうか。
学問を大きく二つに分けてしまうことの起源は、明治時代にさかのぼると言われている。理系を学ぶ学生が多いと設備投資の費用がかさむため、理系の学生を少なくすることが目的だったようだ。しかし、150年以上経った今もなおこれが変わらず続いている。時代の変化に合わせて学問も変わるべきだと思う。
「越境」とは未知の掟を学ぶこと
私の人生を一言で表すと、「越境」だ。
まず、日本で育った私自身がグローバライゼーションするために、フランス語と英語そしてそれぞれの文化を勉強するために現地に滞在した。その後日本に戻り、事業部で理数系に挑戦した。ソニーは、井深さんはエンジニア、盛田さんは物理学、岩間さんは地質学、という理系の人たちがトップにいた。この3人はこの人は理数系・文系だから、というこだわりがなかった。
文系の私が、オーディオ事業をしたいといえばOKが出る。しかし実際は文系の知識だけでは通用しないので、理数系の知識が必要となり猛勉強をした。そのうち科学が進歩しオーディオにデジタルの知識が必要になった。また私は勉強した。やがてデジタルと密接なコンピューターの試作も行い技術や情報を収集していた。
ある時、盛田さんの大阪出張に同行した時、とある家電量販店で「ソニーは、なぜコンピューターを商品化しないのか」と質問された。私は「コンピューターをつくろうと思ったら、いつでもできますよ」と答えた。
そうしたら次の週、盛田さんに呼ばれ「では、コンピューター事業を始めてくれ」と言われた。コンピューター事業のおかげで、ビル・ゲイツ氏や孫正義氏とも知り合うことができた。
さらにその次に、レーザーディスク業界で追いつけといわれパイオニアと開発を行なった。自然な流れで映画業界と関わることになり、映画監督のスティーブン・スピルバーグ氏や、E.T.などの映画を手がけたプロデューサーのキャスリーン・ケネディさんらとハリウッドで知り合った。
このレーザーディスクの時の人脈は、その後おこなった買収の後に活かされ大いに役立った。ソニーは1968年にコロンビアレコード1989年に映画のコロンビアピクチャーズを買収した。これらの買収や経営は数字の世界だった。
このように私は常に、越境を繰り返してきた。
「理数系文系と分けずに学んでおけばよかった」「数学やサイエンスの基礎をつけておくべきだったと」と何度も思った。しかし、私たちは学ぶ意欲があれば、いつでも越境することができる。
新しいことに直面した時、自分の専門外の世界にはいるには腹をくくって勉強する。それはまさに外国に行って、その土地の言語を学ぶのと同じことだ。知識ではなく、未知の"掟"を学ぶのだ。そこから新しい何かが生まれる。
最近、栃木の父の生家に行った。敷地内にある蔵に入ってみたら、昔聴いていたLPレコードがそのままたくさん置いてあり、とても嬉しく懐かしく思った。
私は中学生の頃、レコードをより良い音で聴きたくて、自分で高音・中音・低音が一つになっているスピーカーを製作した。その時にコイルとコンデンサーを使用して帯域を分割するために計算したことを思い出した。思えばこういうことは理数系の領域だ。でも自分の中に好きという感情が伴っていたら、理数系も文系も全く関係ない。これが現実だろう。
そこには、とても純粋な気持ちがある。
The IDEI Dictionary 〜変革のレッスン〜
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