僕は思う。周辺地域に住む人たちは、店が閉店して初めて、「好きだったのに」「すごく残念」と感じた。結局、失ったあとに相手の大切さがわかる“恋愛”みたいなもので、町の財産というのは失う前になんとか守り抜いていかないといけないのだ。復活した「まるきん」が目指すのは、日本一(つまり世界一)美味しいたい焼き屋! 人生を楽しむ人たちがあつまるサロン! 天草のカルチャーを創造するファクトリー! 若者たちが社会とつながり、未来を育む学校! 高齢者の生きがいを創出する拠点!である。そして第2、第3のまるきんが天草だけでなく、日本全国で出現すればいいな、と切に願う。
副業のメリットとは?
都心では副業可の企業もだいぶ増え、厚労省も副業や兼業を推進している。では、副業の良さとはなんだろうか。
振り返れば、テレビ番組の構成、執筆業、飲食業、大学教授、企業アドバイザー、地方創生など仕事が多岐にわたっている僕は、“副業だらけの人”という気がしないでもない(苦笑)。そんな僕が大きなメリットとして感じるのは、いろんな視点でものを考えられること。常に“究極の素人”でいられるといえばいいだろうか。立場が変われば、出会う人も変わるし、行ける場所も違ってくる。そのおかげで、アイデアが凝り固まらず、自由な発想をキープできるのはありがたいことだなと思う。
僕が大切にしている視点の変化があるので紹介したい。陶芸家の河井寛次郎が、昭和24年に雑誌『PHP』に寄せた「蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ」という短いエッセイがある。終戦間近、当時京都に住んでいた河井は、ある日山科へ向かうために峠を下り、途中の山桐の大木前で一休みした。ふと見ると、大きな木の葉がことごとく虫に喰われて丸坊主になっている。その姿を見て、「葉っぱが虫に喰われ、虫が葉っぱを喰う」
という痛ましい思いから、なぜか「虫は葉っぱに養われ、葉っぱは虫を養っている」という視点へと変わっていくのだ。何をどう見るかによって価値というのは変わる、ということを僕はこのエッセイから学んだ。
一方で、職人や料理人など、本業のみをとことん突き詰めていく人にも強く憧れる。理屈や理論だけではない、体に染み付いた何かによって、方法を補正し、新しい高みに向かう人は偉大だ。結局は「本業か副業か」ではなく、さまざまな働き方があっていいということだろう。
ところで、「観光協会を辞めて、たい焼き屋になる!」と高松君が奥さんとお嬢さんに告白できたのは、なんとプレオープンの2日前! 町の噂でなんとなく知っていたというふたりは「パパ、いつ言うんだろうね?」とずっと待っていたらしい(笑)。奥さんは最初こそ文句を言っていたようだが、いまでは「まるきん」を切り盛りする立派な女将さんとなった。女性の切り替えの早さ……いや、柔軟性の高さに、男性である僕たちは驚くばかりである。
【連載】小山薫堂の妄想浪費
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