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放送作家・脚本家、「くまモン」の生みの親。

山桐の葉脈だけ残ったかさかさの葉を見て、葉は虫に喰われたと思うか、葉は虫を養っていると思うか......。

放送作家・脚本家の小山薫堂が「有意義なお金の使い方」を妄想する連載第33回。故郷・天草で閉店した思い出の店「まるきん製菓」が、さまざまな人の善意と応援でよみがえる、映画のようなお話……。

2017年12月17日、故郷・天草の「まるきん製菓」が復活して営業を再開した。

連載第27回で書いたのだが、ここはたい焼き、たこ焼き、ソフトクリームなどを売っていて、子どものころから通った憩いの場所。創業は1947年で、66年に現在の本渡(ほんど) 中央銀天街に移転。丸いかたちが特徴の「蜂蜜入り鯛焼(手亡あん・小豆あん)」や「蜂蜜入り電気まんじゅう(白のこしあん)」などを販売し、地元の人から愛され続けてきたが、店主の金子雅弘さんがご高齢となり、設備の老朽化などもあって、17年5月に閉店してしまう。これは一大事だ、と僕は思った。地元の中高生のオアシスのような場所が閉じることによって、シャッター商店街からさらに若者が消えていくという現象が起きるからだ。僕は金子さんに連絡し、店のオーナーになることを申し出た……というのが前回までのお話である。

最初に相談したのは、保育園からの幼馴染みである高松聖司君。天草の居酒屋で膝を突き合わせ、「まるきんを復活させたいんだけど、運営してくれる人いないかな?」と尋ねると、「ひとりいる!」と40代の青年を電話で呼び出した。自家焙煎珈琲豆専門店「赤い月珈琲」を営む、吉永正敬(まさたか)さんだ。高松君曰く「吉永さんは資金もセンスもあるし、なにしろコーヒーとたい焼きという組み合わせがいいんじゃない?」とのこと。吉永さんは僕の話に真剣に耳を傾け、「ぜひやりましょう」と即決してくれた。そして再度の乾杯のあと、「最近、店を買ってくれないかとか会社を継いでくれないかというお話が多いんです。先日もタクシー会社を買ったばかりで……」と話し始める。「タクシー会社を? それは豪気だね」と返すと

「ええ。小山さんのお父さんからのお話だったので」と言うではないか(笑)。なんと僕らは親子そろって吉永君を巻き込んでいたのだった。

失ってわかった「町の財産」

その後、社長を誰にするかという話になり、僕は高松君にお願いをした。彼は天草宝島観光協会に勤務していて、定収入があったからだ。「やる! 出資もする!」ということで、計550万円の出資金が「まるきん復活プロジェクト」のために集まった。550万円の“ゴーゴー”という響きに、まるきんのよき未来を予感していた。

ところがである。天草宝島観光協会は副業を禁止しており、高松君は「観光協会を辞めて、たい焼きに命をかける」と言い出したのだ。となれば、ただの「まるきん復活」だけではダメで、売れるものをつくらないといけない。

そこで閃いたのが、日本を代表するパティシエ「エス コヤマ」の小山進さんにたい焼きの皮を頼んでみること。肝心の餡は、京都にある大好きな「京菓子司 末富」の山口祥二さんにお願いできたら……。妄想を素直にぶつけたところ、ふたりとも快く引き受けてくださった。巨匠ふたりのレシピは、天草拓心高校・食品科の生徒たちが試作を重ねて再現。ついに粒餡とお茶カスタードクリームをふわふわの皮で包んだ和洋折衷、唯一無二のたい焼きが完成したのだ。

その後も協力者はあとを絶たなかった。グッドデザインカンパニーの水野学さんにはロゴを、ビームスの設楽洋社長には制服やグッズを製作していただいた。ほかにも某映画プロデューサーや某菓子メーカー社長が出資者に名乗りを上げてくれた。元オーナーの金子さんご夫妻は、高松君をいっぱしのたい焼き職人にするため、技術を無償で1カ月にもわたって伝授してくれた。「まるきん」はそのような多くの善意と応援により、1日1000個売れるたい焼き屋さんになった。平均5個買ったとしても、1日200人が訪れてくれるわけだ。

イラストレーション = サイトウユウスケ

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