芸術の「共犯」によって失った誇りを、彼女はいかに取り戻したか

映画「ビッグ・アイズ」主演のエイミー・アダムス(右)とティム・バートン監督(Photo by Getty Images)


野心家のウォルターは「絵描きのキーン夫妻」で売り出そうと現代アートのギャラリーに二人の絵を持ち込むが相手にされず、今度はジャズの有名なライブハウスの壁に展示。客がマーガレットの絵に注目するのに気づくと、新聞記事になるような乱闘騒ぎを店内で起こし、どさくさに紛れてその絵の作者は自分だと口にする。

マーガレットは傷つき抗議するが、「僕たちは一心同体だ」と丸め込まれ、一躍話題となった大きな瞳の子どもの絵を、終日アトリエに閉じこもって描き続けることに。

ウォルターは「ビッグ・アイズ」の画家としてメディアに頻繁に登場し、とうとうキーン・ギャラリーまで開く。常にその場のウケを狙い、大衆の注目を集めようと尽力するこの男の陳腐な振る舞いは、アートからはもっとも遠いものだろう。

支配的な姿勢を隠さなくなったウォルターと、利用されるだけになっていくマーガレット。罪の意識に苦しむ彼女には既に戻る場所もなく、娘も抱えてこの生活を維持していくために、不本意ながらも相手に従うしかない状態に陥る。

ウォルターは、メディア受けする作り話でますます人気を獲得する一方、絵が思ったほど売れないのでチラシのコピーを売ることを思いつき、ポストカードやポスターで一儲けする。絵の才能はないが、ビジネスの才能はあったということだろう、数年後には豪邸暮らしのセレブな有名アーティストにちゃっかり収まったウォルター。しかし、「これは自分の絵だ」と言えないマーガレットの心は閉ざされ、メンタルを病む一歩手前だ。

そんな折り、ウォルターの偽りの過去を偶然知ったマーガレットは怒り心頭に達するが、逆に「口外したら命はない」と脅される。「一心同体」のはずが「共犯」に‥‥。いや、元から二人の関係は対等なものではなかった。ウォルターはマーガレットに対して常に自分の方をより大きく、優位に見せてきたのだから。

1964年、ウォルターがマーガレットに描かせたニューヨーク万博でニユセフのテーマ館を飾る大作は、新聞で酷評され、批評家から面と向かって「低俗だ」と非難される。

マーガレットが最初に描いていた子どもの小品は、彼女の心がこもった素直な絵であっただろう。しかし「ビッグ・アイズ」が当たって描かされた大作は、まるで記号を並べた看板のようだ。

あの絵で俺に恥をかかせたと逆ギレしたウォルターからやっとのことで逃げ出したマーガレットと娘はハワイに渡り、生活を建て直した後に、「ビッグ・アイズ」のすべての権利を有する者として、ウォルターを告発。この裁判におけるウォルターの珍妙な身振りは、醜いを通り越して滑稽である。

相手が自分より優れているという思いからくる遠慮と、「共犯」にさせられた負い目によって、彼女は画家としての誇りを失っていた。やっとそれを奪い返したことで、彼女は人生そのものを取り戻したのだ。

映画連載「シネマの女は最後に微笑む」
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文=大野左紀子

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