ビジネス

2018.05.09 07:30

なぜ仲間の死に直面しても、アフリカでビジネスを続けるのか?

日本植物燃料の合田真CEO


世界を変えてやろう
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さまざまな分野のビジネスに携わってきた合田だが、何を仕事にするか、どうやって決めているのだろうか。

「社会の常識だと思われている枠組みを転換できる仕事だと、やる気が出ますね」

バイオ燃料を始めた当時、世間ではまだその概念すら知られていなかった。石油など化石燃料は限られた資源。バイオ燃料が必要になる日は確実に来る。準備をしておくべきなのは明白だが、必要になる日がいつ来るかはわからない。
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「だれもやらないじゃないですか」

それなら自分がやろうと、飛び込んだ。

すぐにイラク戦争が勃発し、石油価格高騰、京都議定書締結となったのは偶然でしかない。

半ば盗難防止のために電子マネーを始めた時も、思わぬ展開が待っていた。「金融」を知らなかった現地の人々に大歓迎されたのだ。将来は、アフリカで20億人、30億人が顧客となるかもしれない。

従来型のエネルギーや金融の世界の枠組みを、新参者が変えるのは困難だ。しかし、新しいエネルギー、新しい金融をリードする立場になれば、伝統的な世界に「ものを言う」ことができるかもしれない。

紛争の種を、減らせるかもしれない。

「僕はやっぱり、世界を変えてやろうって思ってるみたいですね」

ところで、アフリカでのビジネスでは、思いもよらない事故も起こる。合田は17年10月、現地で農業を担当していた日本人スタッフを失うという体験をした。

嵐の後、何らかの理由で電線が垂れていたのに触れてしまったのか、感電が原因だと思われた。日本で暮らしていたら遭遇しなかったであろう事故。アフリカでの農業に希望を抱き、現地スタッフからも慕われていた同僚の死は、合田にとってとても重い意味を持つものだった。

だが「撤退」は考えなかった。合田はもちろん、他の日本人スタッフや現地スタッフも、仲間が積み上げたものを引き継いで育てていこうという思いを強くしていた。

「彼が播いた種が育って、ほかの国にもこんなに広がりましたよと、いつかご両親にも伝えられるようにね」


ごうだ・まこと◎1975年、長崎県生まれ。98年京都大学中退。2000年に日本植物燃料を創業し、12年モザンビークで現地法人ADMを創設。17年からはモザンビークでの経験を日本へ持ち帰る活動も始め、地方銀行と新規事業の立ち上げを進めている。

文=北島英之 写真=宇佐美雅浩

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