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佐藤淳平 楯の川酒造6代目蔵元・代表取締役(左)と砥上将志 マーケティングディレクター

6代目蔵元が酒蔵を引き継いだ2002年、出荷本数は150石(1升瓶換算で約1万5000本)と山形県でももっとも小規模な蔵のひとつだった楯の川酒造。17年度の出荷本数は2000石(約20万本)と、この15年で実に10倍以上大きく成長した。赤字からのV字回復の裏で行われていたこととはなにか。


山形県には現在50強の酒蔵があるが、そのうち約20蔵が点在する庄内地方。三方を鳥海山や月山、湯殿山などの山々に囲まれていることから水質が良好であり、また日本有数の穀倉地帯だったことから、古くから酒の産地として知られてきた。

その酒田市で1832年(天保3年)に酒造業(酒母製造業)を開始した楯の川酒造は現在の当主である佐藤淳平さんで6代目。酒蔵を引き継いだ2002年当時は売り上げ4000万円程度であり、経常利益はマイナス。良好とはいえない経営状況であった。

酒蔵の経営を引き継ぎ、純米酒や純米吟醸酒を中心に販路を首都圏に拡大していったが、佐藤さんが2011年に大きく取り組んだのは、当時乱立していたアイテムの整理だった。清酒には米を60%以下に精米して醸造する吟醸酒、米と麹だけで造られ、アルコールを添加しない純米酒、醸造用アルコールを添加する本醸造酒などさまざまな特定名称酒のカテゴリーが存在しているが、これらの生産をすべて廃し、日本酒すべての製造を純米大吟醸酒だけにフォーカスすることを選んだのだ。

「もし値段の縛りがないなかで日本酒を選ぶなら、最上位のランクの商品が欲しいでしょう? 純米大吟醸カテゴリーに特化することで、海外の人にもわかりやすいシンプルさを訴求し、より多くの人に気軽に高品質な日本酒を楽しんでいただきたいと考えました。純米大吟醸酒は高価だと思われがちですが、1升瓶で3000円程度のものからラインナップしています」(佐藤さん)


楯野川ブランドの酒は海外市場を視野にいれて、すべて「TATENOKAWA」とアルファベットで表記されている。

当時から純米酒だけに絞っていた蔵はいくつかあったが、18年現在、日本各地に存在する1500あまりの清酒製造業者の中で、日本酒製造で純米大吟醸に焦点を絞ったのは「楯の川酒造」だけ。大きな決断のように思えるが、その背景には同世代のマーケッターとの出会いがあった。

砥上将志さんは米国留学から帰国後、メイド・イン・ジャパンの商品に関わりたいと考えるようになり、「楯野川」の再構築の取り組みから楯の川酒造に参画。海外市場の開拓を含め、ブランディング、マーケティング全般を統括している。

「17年で売り上げは8億まで到達しましたが、このサイズの酒蔵でブランド戦略を担当する人材がいるのは珍しいことかも。保守的な業界で、歴史のある企業ではありますが、ベンチャー・スピリットを持って取り組んでいきたい。全量純米大吟醸化へのシフトにもさほど抵抗なく、すんなりと同意することができました」(砥上さん)

現在は中国や香港、シンガポール、NYの高級和食店を主な顧客として、海外市場は全体の出荷量の15%程度まで拡大。主要商品として、今までどこの酒蔵でもなしえなかった精米歩合わずか1%の純米大吟醸酒「光明」をひっさげ、さらなる市場拡大をめざす。


「光明」は契約農家で栽培される山形県産出羽燦々を1%まで精米した究極の純米大吟醸酒である。720ml ¥108,000

「これからも『光明』のさらにアッパーなアイテムの開発や、グラミー賞受賞ロックバンドPHOENIXとコラボレーションした酒など、取り組みたいプロジェクトはたくさんあります。30年には世界中の人を魅了できるようなSAKE『TATENOKAWA』として認識されること。それがぼくらのゴールなんです」(佐藤さん)


佐藤淳平◎1978年生まれ。楯の川酒造6代目蔵元・代表取締役。東京農業大学応用生物科学部醸造科学科卒業後、神奈川の酒類問屋に出向。2001年10月、23歳で楯の川酒造に戻り、当時危機に瀕していた酒蔵の経営の建て直しを図る。

砥上将志◎1979年生まれ。楯の川酒造マーケティングディレクター。筑波大学大学院修士課程芸術研究科視覚伝達デザイン専攻修了後、日本IBMデザイン部門を経て、米国に留学。2010年10月、楯の川酒造に入社。主に海外輸出統括と経営企画、ブランド管理を担当。


楯の川酒造
山形県酒田市山楯字清水田27
http://www.tatenokawa.jp

文・編集=秋山 都 写真=八田政玄

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