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2月に退任したFRBのイエレン議長が、2016年のボストン連銀コンファレンス講演で、「高圧経済」(high pressure economy)という考え方を示して話題となった。

通常のマクロ経済学では、家計、企業、政策により決まる経済全体の実際の支出である「総需要」と、「総供給」は、独立に決まる、と考える。特に、総供給は長期的な生産投入量で決まるので、総需要の影響は受けない、と考える。これに対し、世界金融危機後の停滞の説明のために、金融危機を経て大きな景気後退を経験したり、技術革新による人材過剰が起きたりすることで総需要が総供給を長期にわたって下回る「永続的な停滞」(secular stagnation)が発生する可能性があるという考え方が示された。

さらに、永続的な停滞は潜在的供給力を引き下げる可能性も指摘。失業が長期化すると、失業者の潜在的生産性も低下していくし、稼働していない設備の劣化も早いかもしれない。この逆で、景気拡大局面では、総需要が供給力を上回る状態(high pressure economy)をしばらく継続し、総供給力が上がるという現象が起きるのではないか、という仮説である。したがってインフレ率の上昇も抑えられる。例えば、失業率の低下がさらに労働参加の増加を呼び込んで供給力を拡大し、インフレ率の急上昇を防ぐ。

現在の日米の堅調な実体経済となかなか上昇しないインフレ率は、高圧経済が作用しているからだ、と解釈もできる。イエレン議長(当時)は同講演で、このような高圧経済では、金利引き上げが、遅めでよいかもしれない、と述べている。実体経済(特に失業率)が好調だからといって金利引き上げを急ぐ必要はない、ということだ。

黒田東彦総裁は、2016年9月の政策検証の際に、インフレ目標達成後も「オーバーシューティング」することを約束している。インフレ率2%が視野に入っても直ちに引き締めする必要はないことを明確にし、景気拡大をサポートし、期待インフレ率の上昇を促すことを明確にしている。これも高圧経済を目指す、ということと同義だろう。

昨年末からは、高圧経済の思わぬ援軍も登場。トランプ政権の経済政策として、財政赤字拡大=米国債発行による大規模減税が決まり、景気拡大局面が続いて、低失業率が実現しているにもかかわらず景気刺激策が行われることになった。よって、近いうちにインフレ率が目標とする2%超えは確実視されている一方、2月にFRB議長に就任したパウエル氏は、景気拡大の加速が顕在化した場合には金利引き上げのペースの加速で対応することを表明している。

安倍晋三総理は、2019年10月に予定されている消費増税について、赤字減らしから幼児教育無償化に使途を変更。アメリカほどの大規模ではないものの、日本でも非常に低い失業率にもかかわらず財政刺激を継続することで、高圧経済の仮説に頼った経済政策を進めることになる。

アメリカに比べてインフレ率が2%にまだまだ達しそうもないため、追加的財政刺激があっても大規模金融緩和のペースは継続。しかし、政府債務・GDP比がすでに230%に達するなかでの財政刺激の継続が将来、大規模な租税負担もしくは金融引き締めの足かせになるのではないか、という懸念は残る。


伊藤隆敏◎コロンビア大学教授。一橋大学経済学部卒業、ハーバード大学経済学博士(Ph.D取得)。1991年一橋大学教授、2002年〜14年東京大学教授。近著に『公共政策入門─ミクロ経済学的アプローチ』(日本評論社)。

文=伊藤隆敏

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