セクマイ、障がい者、外国人、多様性が活きる組織に必要なこと

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振り返ってみると、しばらくは必死で周りに適応しようとしていたことを覚えている。英語で話す練習をし、当時の口癖は「アメリカ人に生まれたかった」。それまで「周りと同じ」であることが望ましい、と思っていた私は自分が「異質」であること、そして「異質」な存在は恐怖でしかなかった。

しかし、人は慣れていくもの。車椅子の子の存在も、薬を飲みにいく彼の存在も、私の中では時間の経過とともに日常になっていった。

それまで異質だと思っていた存在とのコミュニケーションが日常になると、外国人であろうが、障害があろうが、「一人の人」であることがわかってきた。もちろん友達になった人もいるし、話が合わず仲良くならなかった人もいる。

そして、「自分だけが異質である」と思っていた私自身も、当たり前な日常の一部になっていった。

異質と接することで得られた力

アメリカでは「英語をつかったコミュニケーション」の力のみでなく、国籍、肌の色、障害、宗教、性自認、性的指向……などが自分とは異なる存在と多く出会うなかで、「自分とは異なると感じる存在とコミュニケーション」をとる力が得られたと思っている。

そして日本に帰国後、多くの障害のある子どもや大人と接するなかで、自分の想定外の言動をする人とコミュニケーションをとる力が鍛えられた。これらの経験のなかで学んだ関わり方は、普段の私の人との関わり方そのものを変えていった。

例えば、自分と共感する人とのコミュニケーションより、自分とはちがう見方をしている人とのコミュニケーションを楽しいと感じるようになった。仕事をしている中でも、想定内の回答はおもしろくない。

自分とは異なる経験をもち、異なる見方をし、異なる感じ方をする人との対話は興味深く、これまで気がつかなかったことに気がついたり、新しいアイディアが降りてきたりする。

心理学者のゴードン・オールポート氏は、「偏見や差別は相手集団に対する無知から生まれるため、マジョリティとマイノリティの接触回数を増やせば偏見はなくなる」という仮説を提唱した。

多様性を活かす組織や、インクルーシブな社会をつくることに関心のある人は、まずは自分が「異質」と感じる相手と接することを怖がらず、日常的に接することから始めてみてほしい。そして、これまでの自分にとっての「当たり前」が覆される瞬間を味わってみることをおすすめしたい。

文=野口晃菜

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