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 坂口安吾は取手に在住していたころ、常磐線の車窓からしばしば小菅刑務所を眺めていた。「非常に高いコンクリートの塀がそびえ、獄舎は堂々と翼を張って十字の形にひろがり十字の中心交叉点に大工場の煙突よりも高々とデコボコの見張りの塔が立っている」安吾の視線がとらえたのは、「必要」によって構成された美だった。美しくするための加工や美しくないという理由による省略が一切なく、ただ「必要」という実質があるのみ。この「やむべからず実質がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ」。

 安吾がいう「必要」や「実質」は、一見すると機械美を礼賛した未来派や建築における機能主義と通底しているようだ。むろん安吾の論旨は、ブルーノ・タウトの『日本文化私観』を批判的に転覆することにあったから、タウトが否定的に見た日本の近代をあえて肯定する身ぶりを披露する一面がなかったわけではあるまい。だが、安吾はたんに開き直って日本の近代を称揚したわけではなかった。「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい」と啖呵を切る安吾が重視していたのは、「生活」だった。工場や飛行機、ネオン・サインが私たちの古い暮らしを明るく刷新したことを無邪気に喜んでいたわけではない。私たちの生活がそれらに魂を下している事態を「実質」と呼んだのだ。「必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ。それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生まれる。そこに真実の生活があるからだ」

 安吾にとって美は、生活の地平から生まれるものだったのである。『活動のデザイン展』で紹介されているのは、まさしく「必要」と「実質」、そして「生活」に根ざした、魅力的な活動ばかりだ。注目したいのは、それらがいずれも従来の近代的な「芸術」から逸脱する方向性を暗示しているように見える点である。

 フィックスパーツが取り組んでいるのは、庶民が日常生活で感じる不便な点をリサーチして改良するプロジェクト。足元まで手が届かない女性のために「靴べら」ならぬ「靴下べら」を制作したり、鳩の餌を販売する女性の袋詰の作業をスムーズにするための装置を開発したり、必要を満たすアイデアと、それを具体化する試行錯誤の過程が面白い。

 ただ、最も興味深いのは、彼らの視線が普遍的な価値や機能より、あくまでも特定の個人に注がれている点だ。個別の状況に即して制作された彼らの作品から浮き彫りになるのは、大量生産された商品では用を足さないという現実の必要である。本展で紹介されたさまざまな活動は、いずれもそのように細分化された生活の実質と対応している。

 例えばフロント&シアザマ プロジェクト/エディションス イン クラフトは、南アフリカの女性たちの個人的な語りをガラスビーズに置き換えるプロジェクトを行っている。文字教育を受けていない女性たちの声は、何も施さなければ私たちの耳に届かないし、歴史にも残らない。だが、それらにビーズという形を与えることで、宛先のなかった声は読者をもつ文字となった。普遍的な価値を標榜する「芸術」が見落としがちな個別の必要をすくい上げているのである。

 安吾は、芸術の大道がそうした必要にあることを指摘したうえで、次のようにいう。「汝の生命と引換えにしても、それを表現せずにはやみがたいところの汝自らの宝石であるか、どうか」

 彼女たちにとって、あのきらめく無数のビーズは、かけがえのない「宝石」であるにちがいない。

福住 廉

 

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