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川村雄介の飛耳長目

HelloRF Zcool / Shutterstock

昭和11年5月6日の衆議院本会議。2.26事件で総辞職した岡田内閣の後を受けた広田弘毅首相が施政方針演説に立った。

時局が緊迫し、昭和恐慌から抜けきれない当時、中小業者は金策に困り果てていた。広田は、「最近国民生活ニ対スル重圧ガ愈々加ハラントシ、(中略)政府ハ国民生活ノ有ユル分野ニ於イテ其ノ安定向上ヲ目途トシテ(中略)商工組合中央金庫ノ設置」に全力で対応していくと宣言した。

昭和初期の中小企業金融は未整備の一言に尽きた。銀行取引を有する中小企業は3割にも満たず、大半が問屋金融や個人金貸し業者に依存していた。商工中金は、こうした中小企業の、長年にわたる切なる陳情が原動力となって設立された。

戦後も政府系金融機関の商工中金は、中小企業に寄り添いその成長を支援していった。高度成長が終わり日本経済が波状的な不況や危機に見舞われると、中小企業の駆け込み寺のような機能を果たした。

「商工中金さんのおかげで、命拾いばしたとですよ」。

15年ほど前の長崎。蛍茶屋電停近くの小料理屋で、PC周辺機器の販売を手広く展開していた事業主が、ほっとした体ていでつぶやいた。ITバブル崩壊で民間金融機関からの資金繰りに難渋した同氏は「いよいよ首括らんば、と覚悟しとったですよ」。ダメ元で訪れた商工中金が助け舟を出してくれた。「やはり、政府系は頼もしかあ」。

商工中金は純資産の7割が政府からの出資や準備金などで、国がお金を出す危機対応融資も重要業務である。

同金庫はこれを悪用した。危機が終わった後も、優良取引先の財務内容をわざと悪く見せかけ、低利の不正融資などを断行した。それも組織ぐるみだった。公金を悪用して地銀などの取引チャンスを奪ったのだから、民間サイドは民業圧迫だと激怒した。

政府は、「商工中金の在り方検討会」を設置し、短期集中的に今後あるべき商工中金の業務や体制を「解体的に見直す」ように要請した。委員たちは文字通り、真剣勝負で臨んだ。

「不祥事の根底には、商工中金の既存ビジネスモデルの破綻がある」。委員の多くが共有した認識である。

同金庫が注力した優良取引先に対する単純融資は、民間金融機関が激烈な競争を展開して飽和状態。民業補完を旨とすべき政府系金融機関が積極的に手掛ける分野ではない。

文=川村雄介

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