「卒業」へのオマージュか? 「さよなら、僕のマンハッタン」

映画「さよなら、僕のマンハッタン」で主演を務めたカラム・ターナー(左)と隣人を演じたジェフ・ブリッジス(左、Photo by Getty Images)




監督であるマーク・ウェブは、2009年に長編劇映画を初監督した「(500)日のサマー」が批評家に絶賛されて、その後「アメインジング・スパイターマン」(2012年)の監督に抜擢されるが、デビュー以前からこの「さよなら、僕のマンハッタン」には注目しており、いつか自らの手で映画化したいと考えていたという。

昨年ウェブは、本欄でも紹介した「gifted/ギフテッド」という素晴らしい作品を発表しているが、その製作が終了するやいなや、2016年10月に「さよなら、僕のマンハッタン」の撮影をスタートしている。

「さよなら、僕のマンハッタン」は、大学を卒業したが、将来の進路を決めかねて、モラトリアムな状態を続けているトーマス(カラム・ターナー)が主人公。トーマスの父親(ピアーズ・ブロスナン)は出版社を経営しているが、この業界の将来性については、かなり危機感を抱いている。

このあたりの状況は、日本ととても似ており、「本が売れない、とくに小説は」という父親の発言は、そのまま日本の出版界にも当てはまるので、印象深かった。

トーマスには好意を抱いている女性ミミ(カーシー・クレモンズ)がいるのだが、彼女には恋人がいて、すっきりとしない関係が続いている。そんなトーマスは、ある日、父親と見知らぬ女性(ケイト・ベッキンセール)とのデート現場を目撃してしまう。その女性ジョアンナは父親の会社に出入りする編集者で、彼女の後をつけるうちに、トーマスは深い関係を持ってしまう。

大学を卒業して、モラトリアムな状態にいる若者が、年上の女性との情事を重ねるというシチュエーションは、前述したサイモン&ガーファンクルを有名にした1967年の映画「卒業」と同じものだ。

「卒業」では、東部の大学を優秀な成績で卒業した主人公ベンジャミン(ダスティン・ホフマン)が西海岸に戻り、毎日プールで過ごす空虚な日々を送っていたが、自宅のパーティーで出会った年上の女性ミセス・ロビンソン(アン・バンクロフト)と不適切な関係を築くことで変化が訪れる。

ということで、明らかに、「さよなら、僕のマンハッタン」は、半世紀前の映画「卒業」を意識してつくられた作品だ。タイトルにサイモン&ガーファンクルの曲名を使用したのも、その元ネタを明らかにするという意図もあったに違いない。

モラトリアムな若者を描いた作品としては、実によくできている。「卒業」のような映画史に残るドラマチックなラストシーンは存在しないが、彼が人生に対して目標を定める過程は、とても細やかに描かれている。

そして、「卒業」ともうひとつ異なるのは、“隣人の男性”が果たす役割だ。彼の存在が、ある意味で主人公をモラトリアムから救い出すのだが、このあたりが多様化のなかで、迷路に迷い込んだ時代を象徴しているように思える。

少なくとも、「卒業」の主人公は、本人の強い意志で「恋人」の結婚式場に乗り込んで花嫁を強奪したが、「さよなら、僕のマンハッタン」の主人公は、クロアチアに留学するという「恋人」の後を追いかけることなく、静かなひとりの道を選んでいくのだった。

余談だが、作品中には、ニューヨークのカフェやレスランなどの注目スポットが多数登場し、ホームページの解説と合わせて観れば、なかなか興味深い。しかも、サイモン&ガーファンクルの他にも、ルー・リードやボブ・ディラン、ハービー・ハンコックなど、この街を感じさせる音楽もたくさん流れ、たっぷりとニューヨーク気分が味わえる作品にもなっている。

映画と小説の間を往還する編集者による「シネマ未来鏡」
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文=稲垣伸寿

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