「卒業」へのオマージュか? 「さよなら、僕のマンハッタン」

映画「さよなら、僕のマンハッタン」で主演を務めたカラム・ターナー(左)と隣人を演じたジェフ・ブリッジス(左、Photo by Getty Images)

どうやら1974年生まれの映画監督は、サイモン&ガーファンクルが好きなようだ。昨年、日本でも公開され、ロングランヒットとなった「ベイビー・ドライバー」は、長らく自分も忘れていたサイモン&ガーファンクルの隠れた名曲を劇中で印象的に使い、タイトルにまで使用している。

4月13日に公開されたばかりの映画「さよなら、僕のマンハッタン」、邦題はやや叙情的なタイトルとなっているが、原題は「The Only Living Boy in New York」で、これもまたサイモン&ガーファンクルの曲から取られており、もちろん当該の曲もメインテーマとして作品中に流れる。

「ベイビー・ドライバー」のエドガー・ライト監督は1974年の4月生まれ、「さよなら、僕のマンハッタン」のマーク・ウェブ監督も同年の8月生まれ、生まれた国はイギリスとアメリカという違いはあるものの、奇しくも同じ年生まれのふたりが、立て続けにサイモン&ガーファンクルの曲をタイトルにして作品を発表したのは、同時代をともにしたオールドファンとしてはなんとなく嬉しい。

さて、にわかに1974年生まれの映画監督たちによってクローズアップされているこのデュオだが、実は「ベイビー・ドライバー」も「The Only Living Boy in New York」(邦題は「ニューヨークの少年」)も、1970年に発表された彼らのアルバム「明日に架ける橋」(原題は「Bridge over Troubled Water」)に収録されていた曲なのだ。

しかもB面(レコードの時代の懐かしい呼び方だが)の2曲目が「ベイビー・ドライバー」、3曲目が「The Only Living Boy in New York」で、映画公開と同じ順で並んでいた。どちらもヒット曲のB面にも収録されていたが、けっしてそれぞれがヒット曲と呼ばれる有名なものではなかった。

この、自分たちが生まれる前に発表された、どちらかというと目立つことのなかった佳曲を、タイトルに冠して、劇中の重要な場面で使用した、1974年生まれの両監督にはただただ拍手を送りたい。

彼らの曲に何を見出したのか、心中を察するのはなかなか難しいことだが、サイモン&ガーファンクルが残したものが、いまもクリエイターたちの創作意欲を刺激しているということは確かなことだ。

ポール・サイモンとアート・ガーファンクルからなるこのフォークデュオが大きな人気を得るにいたったのも、映画が絡んでいた。1967年に公開されたアメリカン・ニューシネマの名作「卒業」(マイク・ニコルズ監督)だ。

劇中で使用された彼らの曲「サウンド・オブ・サイレンス」と「ミセス・ロビンソン」が大ヒット、それまでもある程度の人気は得てはいたが、この映画のサントラ盤をきっかけに、一躍、世界的にもブレークし、1970年に発表した前述の「明日に架ける橋」では、グラミー賞最優秀アルバム賞も得ることになる。

話は逸れてしまったが、今回、取り上げようとしているのは「The Only Living Boy in New York」、「さよなら、僕のマンハッタン」についてだ。この作品もまた、以前「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」で紹介したブラックリストから生まれた作品だ。

ただし、「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」が、2016年に登録されてからわずか1年足らずで映画化されたのに比べ、この「さよなら、僕のマンハッタン(The Only Living Boy in New York)」がブラックリストに載ったのは2005年で、そこから17年の時を経て作品は公開された。

脚本を執筆したのは、アラン・ローブという、1969年アメリカのイリノイ州生まれの脚本家。のちに映画やテレビドラマのプロデューサーとしても活躍するが、当時はロサンゼルスからニューヨークに移り住み、この脚本を完成させた。

そして、この年、彼が書いたもうひとつの脚本「Things We Lost in the Fire」(邦題は「悲しみが乾くまで」)が、ブラックリストで「最も気に入った脚本」の第1位にも選ばれている。
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文=稲垣伸寿

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