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 1980年の秋に発表された『なんとなく、クリスタル』は、大学に通いながらモデル事務所にも所属する由利を主人公に、高度経済成長を経てその後のバブル経済に向かいゆく当時の“豊かな”日本社会の「今の気分」を、ブランド品やAORの楽曲、流行の飲食店といった固有名詞や風俗を織り交ぜて肯定的に描いた小説とみなされた。翌年単行本が発売されるや、100万部を超えるベストセラーとなったが、この作品を語るうえで何より話題になったのが、小説の本文は右ページだけにあり、左ページには計442に及ぶ膨大な註が施されていたということだ。それは正確には「NOTES」と題され、固有名詞などの補足説明にとどまらず、著者の独断に満ちた社会批評となっており、ある意味「軽薄」で「中身のない」と評された本文より評価された。しかし、最後に掲載された日本の人口減少と高齢化を示す予測データには誰も注意を払わず、当時その真意はほとんど理解されなかったという。

 その『なんクリ』から1/3世紀を経て、2013年の東京を舞台にした続編、『33年後のなんとなく、クリスタル』が発売された。今作ではかつての小説の登場人物のモデルとなった人々が、実際に年齢を重ねて50代となって登場する。しかも、物語の語り手となる「僕=ヤスオ」は、著者である田中康夫を思わせる人物というからヒネリがきいている。

 ヤスオは、“記憶の円盤(ディスク)”と呼ぶ脳内データベースを参照しつつ、再会した彼女たちとお互いが生きてきた33年間を語り合う。前作では、ミュージシャンと同棲し、「クリスタルなのよ、きっと生活が。なにも悩みなんて、ありゃしないし……」と呟いていた由利も、大人の女性に成長。卒業後に就職したフランスの化粧品会社の広報から、ロンドンの大学院への私費留学を経て独立し、現在はPRの仕事をしながら社会貢献と経済成長の両立を模索している。

 ほかの登場人物もそれぞれのキャリアと人生を重ねている。会話の話題も、ブランド品や食への変わらぬ嗜好はありつつも、介護や都会における限界集落の問題など、生活者として感じる日本社会への不安や政治への不満が飛び出し、政治家としてさまざまな課題に取り組んできたヤスオも自らの経験を話す。前作で“本文では”語られなかった政治的・社会的なイシューが多数盛り込まれているのだ。

 小説では、再び近しくなった由利との会話に見え隠れするヤスオの欲望の行方に読む者の関心を引き寄せつつ、実は、著者田中康夫が本当に訴えたいのは、各々が社会とコミットして、できる範囲でより良い社会の実現に向けて行動し、未来への希望をもとうというメッセージだ。仕事で直面する現実にもがきながらも由利は言う。「ヤスオも知ってるでしょ。『微力だけど無力じゃない』って言葉。私、そう信じたい。たとえ先が見えなくたって、ゆっくりと手探りで、前に進めると思うの」。

 かつて「クリスタル」に映った世の中は今、彼女たちにどう見えるのか。小説の終盤には「黄昏」という言葉が登場する。しかし、それは沈みゆく社会を暗示しているわけではない。再び由利の言葉を聞こう。「黄昏時って案外、好きよ。だって、夕焼けの名残りの赤みって、どことなく夜明けの感じと似ているでしょ」。

 今作にも付記された約70ページにわたる巻末の「註」は、ヤスオ=康夫の政治的マニフェストとも読める。気軽に小説を読もうと手に取った読者たちは、今度こそ彼の真意に気づけるか。

小林英治

 

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