戦争に翻弄された「優しいゴルフ場」の歴史

プリンシズ・ゴルフ・クラブ

1907年に開場したプリンシズ・ゴルフ・クラブは、グレートブリテン島の南東端、ヨーロッパ大陸に面した湾岸沿いにある。2度の世界大戦に翻弄されながらも、全英オープンをはじめとした数々の国際大会の舞台に選ばれてきた名門コースの歴史とは。


プリンシズ・ゴルフ・クラブは、ケント州のサンドウィッチ湾沿いにある名門クラブだ。イングランド随一のロイヤル・セントジョージズ・ゴルフ・クラブ、いわゆる「The Sandwich」のホールを見ながら、ペグウェル湾に向かってドライブすると現れてくる。
 
クラブハウスが新設されたばかりでモダンな印象のプリンシズには「Shore」「Dunes」「Himalaya」という9ホールコースが3つあり、計27ホールで構成されている。3つのコースをどのように組み合わせても、素晴らしい18ホールだと説明を受けた。私はもちろん1日で27ホールを回り、確かにどれも味わいのあるコースだなと感じた次第である。

ガイドブックには、ShoreとDunesを組み合わせた18ホールが掲載されており、イギリスのトップ100コースの上位にランクインしている。
 
やや短いHimalayaは、クラブハウスの北側に位置し、ドッグレッグホールでスタートしていく。1番長いShoreでは、特に4番ホールのグリーン周りのバンカーにプレイヤーみなが悩まされるだろう。見上げると、隣接しているロイヤル・セントジョージズの15番ホールが見える。なんと贅沢なセッティングだろう。

創設者であるハリー・マラビー・ディーリーは、英国の保守政党の政治家だった。彼はサンドウィッチに新しいゴルフ場をつくるため、ケンブリッジ大学ゴルフ部時代からの友人であるパーシー・モンタギュー・ルーカスとともに、ギルフォード伯爵から寄贈された土地のほとんどを提供した。


 
このコースの最大功労者は、初代書記も務めたディーリーと、コースの設計まで関わったルーカスであることは間違いない。娘のレディー・ルーカスは、父親が仕事熱心すぎたため、クラブハウスで生まれたと記録されているほどである。

彼らと協力してコースを設計したのは、1902年に行われた全英アマチュアゴルフ選手権のチャンピオン、チャールズ・ハッチングスだ。「女性やジュニア、家族ゴルファーに優しいゴルフ場」というコンセプトのもと、04年からコースづくりが始まり、06年に完成した。素晴らしいゴルフ場に仕上がり、07年の開場の際には、02年から05年にかけて英国の首相を務めたアーサー・バルフォアが始球式を行った。
 
しかし、このコースはヨーロッパ大陸に面しており、ドーバー海峡にも近い。第一次世界大戦中の14年には、軍によって沿岸防衛および訓練用地とされた。 
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文=小泉泰郎

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