戦争に翻弄された「優しいゴルフ場」の歴史

プリンシズ・ゴルフ・クラブ


戦後すぐに修復され、22年にはレディース・オープンを開催。クラブ所属のジョイス・ウェザーレッドが制覇した。また32年には全英オープンの開催地となり、同年に全米オープンで10年ぶり2度目の優勝を果たしていたジーン・サラゼンが、283というスコアで初優勝を成し遂げた。

彼は後に、7つのメジャー大会を含む37のトーナメントで勝利。メジャー選手権を生涯のうちにすべて制覇するという「キャリア・グランドスラム」の初の達成者となった。
 
その後プリンシズは、30年代から40年代にかけて、英国国会議員ゴルフ同好会や名門大学ゴルフ部の対抗戦開催地として栄華を極めた。
 
だが、世界情勢は再び悪化し、第二次世界大戦が勃発。クラブの敷地はすべて軍に徴収され、ドイツとの戦いの拠点として重宝されたために、ゴルフ場としてはすっかり退廃してしまった。
 
イギリス海兵隊は、この土地を永続的に訓練場とすることを検討していた。しかし49年、オーストラリア人の不動産開発業者であるエインズレイ・ブリッジハンドによって救われる。彼はガイ・キャンベル卿とジョン・モリソンに再設計を依頼。もともとあったオリジナルの18ホールのうち17ホールのグリーンを奇跡的に温存して、ゴルフ場を見事に復活させたのだった。
 
この名門コースは、英国ゴルフのメジャーな大会ホスト役として2018年、22年の全英オープン最終予選会場に選ばれているほか、13年、17年には全英アマの最終予選会場を務めている。また15年には、世界各国のジュニアチャンピオンが集結する「デューク・オブ・ヨーク・ヤングチャンピオンズ・トロフィー」の開催地となった。当然の帰結だろう。
 
訪れた際には、隣接する宿泊施設を利用するのが正しい選択だ。我々が訪問した際も、ケンブリッジ大学とオックスフォード大学のゴルフ部OBによるレセプションが開催されており、それはそれはイギリスらしい、素晴らしい光景であった。

コースコンセプトは「女性やジュニア、家族に優しい」

プリンシズ・ゴルフ・クラブは、ロンドンから約150km南東に離れたケント州の東端、サンドウィッチ湾沿いにある。ガイドブックにも掲載されている「Shore」と「Dunes」のコースの組み合わせは全長6880ヤード、パー72。美しい海岸線沿いに展開するホールは、全英オープンをはじめとして、プロはもちろんアマチュアや女性、ジュニアを対象とした数々の国際大会の舞台となってきた。


ゴルフ場の入り口にはクラブハウスと2つのロッジがある。湾岸の景色とリンクスを望むロッジでは、優雅な時間を楽しめるだろう。


こいずみ・やすろう◎FiNC 代表取締役CSO/CFO。東京大学経済学部卒。日本興業銀行、ゴールドマン・サックスで計28年活躍。現役中から、インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢・発起人、TABLE FOR TWO Internationalのアドバイザーなど社会貢献活動にも参加。お金のデザイン社外取締役、WHILL、FC今治のアドバイザー。

文=小泉泰郎

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