『アメリカン・スナイパー』戦争がもたらす悲劇と西部劇のダイナミズム




映画『アメリカン・スナイパー』は、もともとスティーヴン・スピルバーグを監督に迎えて撮影される予定だった。しかしプリプロダクション中にスピルバーグが降板。後任の監督としてクリント・イーストウッドに白羽の矢が立つことになる。実は過去にも、『マディソン郡の橋』など、イーストウッドはスピルバーグが監督するはずだったプロジェクトをいくつか引き継いできた。イーストウッドは語る。「彼に電話して言ったんだ。俺は君の残飯処理係かよって!」

 しかし完成した作品を観ると、これはイーストウッドにしか撮れない、紛れもないイーストウッド作品だということがわかる。

 原作は米海軍特殊部隊の元隊員クリス・カイルがイラク戦争での実体験を綴ったノンフィクション『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』。2003年に始まったイラク戦の戦場で、正確無比な射撃能力をもつカイルは米軍史上最多の160人を射殺し、“伝説の狙撃手”として英雄視された。一方、イラクの反政府武装勢力は彼を“悪魔”と呼び、彼の首に多額の懸賞金をかける。計4度にわたる遠征の過程で、修羅場を何度となく経験し、仲間の死を目の当たりにするカイル。映画はそんな戦地の現実に迫りながら、戦場を離れた彼がどのように生きたのかという視点も忘れない。幼いころはカウボーイに憧れ、ずっと抱き続けた「誰かを守りたい」という想いから従軍したカイルは、家族も守りたいと願いつつ、次第に家庭でも戦場の狂気から抜け出せなくなっていく。

 イーストウッドはまずこの作品を、戦禍がもたらす悲劇のドラマとして描き出した。カイルが除隊後に辿る過酷な運命もそうだが、随所に登場する手足を失くした退役軍人の姿や、星条旗の映像を背景に葬送曲が流れるエンドロールは、過ちを繰り返してきたアメリカという国そのものを、痛ましい悲劇の当事者として告発するかのようだ。このあたりは、太平洋戦争で硫黄島の戦いを生き抜いた若者たちの、その後の苦悩に焦点を当てた06年の監督作『父親たちの星条旗』と共鳴する。

 だが、そういったヒューマニズムを本作の表のテーマとするなら、ある意味裏のテーマとしてこの作品を貫くのが西部劇のダイナミズムだ。カウボーイを夢見て、実際に狙撃手=ガンマンになったカイルは、五輪メダリストの経歴をもつ反政府勢力最高の狙撃手と最後に“果たし合い”を行う。ライフルから放たれた弾丸が、弾道も鮮明に遙か彼方の相手目がけて飛んでいくさまは、近年のイーストウッド作品にはなく劇画的だ。また、カイルたちネイビー・シールズが敵陣の建物屋上で孤立し、大砂塵の中、迫りくる反政府勢力を迎え撃つ場面は、西部劇でおなじみの砦を巡る攻防と相通ずる。

 イーストウッドがTVシリーズ『ローハイド』や映画『夕陽のガンマン』といった西部劇への出演で、脚光を浴びた俳優だったことは言うまでもない。“最後の西部劇”と銘打ち、自ら主演も務めた監督作『許されざる者』でアカデミー賞4部門を制覇したのは、今から20年以上も前のことだ。本作は、今年85歳になる巨匠が“最後のカウボーイ”のひとりとして、かつての西部劇の魅力を解き放ったスリリングな一作でもある。だから衝撃作や感動作の一言では簡単にくくれない。

 主演のブラッドリー・クーパーはプロデューサーとして本作の映画化権を獲得。徹底した肉体改造で米軍きっての精鋭に扮し、キャリア史上最高の演技を見せた。

門間雄介

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事