もしくは、郵便局員が受け取った荷物を自ら宛先まで持参する、というアイデアはどうだろう。現在、郵便が最も求められる課題は「いかに効率よく速く届けるか」だと思うが、だからこそあえて効率の悪い郵便物があっても面白いのではないか。
例えば、東京の麻布郵便局で受け取った僕の荷物を、ひとりの郵便局員が自ら飛行機や電車や船を使って、熊本・天草の父親に届ける(もちろん局員の交通費は僕が前払いする)。玄関先で父親は「息子は元気でしたか?」と尋ねるだろう。局員は僕の様子や荷物の中身について父に伝える。そのうち座り込んで、奥からお茶も出てきて、天草の感想まで父に話して聞かせてくれるかもしれない。運ぶ人に何らかの感情が伴うだけで、受け取った人はその郵便物からいつもとは違う何かを受け取るのではないだろうか。
僕は、脚本を書いた映画『おくりびと』で、「石文(いしぶみ)」というモチーフを使った。向田邦子さんのエッセイ(『男どき女どき』収録の「無口な手紙」)で、人が言葉を持たなかった時代に「石を選んで渡し、相手に想いを伝える」という風習があったことを知り、素敵だなと思って拝借したのである。郵便の原点は、この石文だ。重要なのは、速く渡すことではなく、人に想いを届けること。そのための(一方はテクノロジー寄り、一方はアナログ寄りの)ふたつのアイデアを考えてみたわけですが、日本郵便の横山邦男社長、いかがでしょうか?
みんな、手紙を書きたがっている
年賀状も出す人が減り、パソコンとスマホで日々の伝聞が事足りる現代、直筆の手紙というのはとても心温まるものだ。
知り合いの飯田安国というカメラマンは常に絵葉書を持ち歩いていて、酔っ払うとそれを書いて出す。例えば「いまヴェネツィアのバーにいます。目の前の灰皿が素敵で、ポケットに入れてしまおうかなという欲望と闘っています。」なんていうささやかな内容なのだが、酔って書かれた走り書きにはすごく味があり、彼のいるバーの匂いまで漂ってくる。
かくいう僕は、旅先から自分宛に書くことがある。海外だと到着まで時間がかかるので、「そうか、2週間前の自分はこんなことを思っていたんだ」と、過去の自分をすでに別人格のように感じて、とても面白い(皆さんも機会があったら、ぜひ!)。
そのような実感もあって、総合プロデュースを手がけている宮崎県のフェニックス・シーガイア・リゾートでは、宿泊者専用のテラスラウンジ「風待ちテラス」内にレタールームを新設した。ここにはアンバサダーが常駐しており、パーカーの万年筆や色鉛筆、絵葉書、切手などが用意されている。
部屋に設置されたポストには3つの投函口が。真ん中は「大切な人への手紙」で、一般郵便。左は「未来への手紙」で、未来の自分や家族へ書いたものをホテルが最長で20年間保管してくれる。右は「あてのない手紙」で、レタールームにて展示される。これが想像以上に人気で、スタートからわずか1年半で約1万4000通を預かったのだそう(ちなみに内訳は順に約1万1100通、約2400通、約500通)。漫画喫茶やネットカフェの次は、レター喫茶が流行るかもしれませんね。
【連載】小山薫堂の妄想浪費 過去記事はこちら>>