自らの企業ビジョン、今後の抱負を語ったソンジュ氏が、将来の活躍を期待される若き女性たちに伝えたかったこととは──
──韓国屈指の財閥系名家に生まれ、大変裕福な環境でお育ちになられたと伺っていますが、幼少期の環境について少しお話頂けますか?
キム・ソンジュ(以下、ソンジュ):父はいわゆる小規模な財閥企業のオーナーで、ソウルガスやその他数々の事業に携わっていました。私は広大な敷地の中にある旧大統領官邸で生まれ育った“プリンセス”といった感じで、10人以上の使用人にかしずかれて、炊事から洗濯まで何一つ自分でした事がないような生活をしていました。
だから最初にアメリカの大学に行って寄宿舎生活をしたときは、自分のベッドメイキングすら出来ない状態で、周囲の皆はいつも私のやる事成す事を奇妙な目で眺めていたような気がします。皆が自分の事は自分でしっかり管理している様子を横目で見ながら「こんな事では自分は一人で生きて行く事すら出来ない」と痛感して、そこから自分の中での意識改革が始まりました。
──ロンドン政治経済大学院(LSE)で学び、その後ハーバード・ビジネス・スクールを卒業されていますが、東洋と西洋の文化風習、価値観の違いに驚かれたのではないかと思います。海外での経験を通して、ご自身はどのように変わっていかれましたか?
ソンジュ:韓国では“女性は常に男性から一歩下がって控えめに行動するもの”という教育を受けていたので、それこそ「男女平等の精神」は私にとってまさに青天の霹靂。とにかく見る事、聞く事、何もかにもが新鮮で、毎日が驚きの連続だったのを覚えています。
それに、私がハーバードに通っていた1970年代のアメリカは「ウーマンズリブ(Women’s Liberation)運動」の真っただ中で、女性だからといって出来ない事や、やってはいけない事はないという風潮でした。だから、イギリスやアメリカでの学生生活を通し、自立の大切さや、男女平等の精神を真髄から学んだと言っても過言ではないと思います。
ハーバードで学業を終えた後は、当然の如く韓国に帰り、父がふさわしいとする相手とお見合い結婚をするという筋書きが出来ていたのですが、親の言いなりの道を進まず、アメリカに残る選択をした私は完全に勘当状態になりました。そして、仕送りを断たれた私は、ニューヨークで貧乏な自活生活を強いられる事になったんです。
きっと異国の地で「何から何まで全て自分で道を切り開いて行く」という貴重な経験が、今の私の“不屈の精神”の礎になっています。
──ハーバード・ビジネス・スクール時代に英国系カナダ人とご結婚されていますが、きっと大ロマンスの末のご結婚だったのでしょうね?
ソンジュ:それがね、彼とはデートはしていたけれど、お互いに差し迫って結婚したいと言う思いは全くなかったんです。でも、韓国に戻って親が決めた結婚をするしか選択がないような窮地に追い込まれた状況の中で、私の方から彼に「お願い結婚」をしたというのが事の真相なんです(笑)。
結局、離婚する事にはなったけれど、彼との結婚を通して色々な事を学びました。何よりも、彼との間に生まれた娘はまさに私の「宝」であり、結婚した事、離婚した事、共に一切後悔はしていないです。
──当時の韓国社会、さらにご実家の国際結婚に対する考えはどのようなものでしたか? かなり反対されたのではありませんか?
ソンジュ:もちろん、父は大反対で、それこそ息を引き取る直前まで勘当状態でした。死ぬ間際に「お前が息子でなくて本当に残念」と言っていたのを今でも忘れません。