その焦点の米朝会談について、「直接会い、話をすれば大きな成果を出すことができるだろう」と最初にメッセージを発したのは、北朝鮮の金委員長だった。韓国特使からこれを聞いたトランプ米大統領は3月8日、「よし、会おう」と即断した。両者のやり取りの真の背景は何だろうか。
「北朝鮮」で点を稼ぎたい
対決から融和へと戦略転換した金委員長に対し、一方のトランプ大統領を突き動かしたのは持ち前の虚栄心と功名心のようだ。歴代大統領がさじを投げた懸案を解決し、支持率低迷を打破する狙いがある。
米朝の接近は今回に限ったことではない。北朝鮮が1993年3月に核拡散防止条約(NPT)脱退を宣言して以降、クリントン(94年の米朝枠組み合意)、ブッシュ(2003年8月~07年3月の6カ国協議)、オバマ(12年2月の米朝合意)の歴代米政権は、いずれも北朝鮮との取引を試みた。
歴代の米大統領が北朝鮮問題に対応する誘惑に抗えないのは、北朝鮮の非核化は最終的に同国との国交樹立に結び付く外交上のレガシー(偉業)となり、歴史に名前を残すことが可能だからだ。
トランプ大統領も事情は同じで、就任当初に掲げたロシアとの関係改善は当面難しく、シリア内戦の終結や中東和平の仲介も絶望的なことから、11月の中間選挙を控えて「北朝鮮」で何とか得点を稼ぎたい。結果次第では自称「ディールメーカー」の面目躍如ともなる。
ただし、米朝会談で非核化の合意があっとしても、それが直ちに核問題の解決を意味しない。困難を極めるマラソン交渉の号砲となるか、あるいは、完全に決裂して軍事衝突が現実味を増していくシナリオもあり得る。
今回の動きを、オバマ前政権が15年7月に達成したイラン核合意と比較すると、さまざまな不安要素が浮き彫りになる。欧米など主要6カ国とイランの核交渉が始まったのは13年11月で、これに先立ちオバマ大統領(当時)はイランのロウハニ大統領と電話会談を行った。国交のない両国首脳が接触するのは35年ぶりで、双方の高官はここに至るまで水面下で秘密交渉を重ねていた。
その後、交渉は1年8カ月の紆余曲折を経て、イランが核開発を制限する見返りに、欧米側が制裁を解除する取引の成立をみる。この間、イスラエルや米国内の対イラン強硬派は、交渉を主導したケリー国務長官(当時)を批判し続けた。一方、オバマ大統領はぶれることなく、政権高官らは結束して反対勢力に交渉の正当性を説いて回った。