人間がAIよりも優位に立っているはずの意味の把握において、それを苦手とする人がとても多いのではないかということに気がついたのである。
東ロボくんを研究する過程で、新井さんは学生の基本的な読解力に疑問を抱く。
ここで言う読解力とは、難しい評論文を読みこなすような能力ではなく、ごく普通に「文章の意味内容を理解する」という程度の能力のこと。その能力に疑問を抱いた新井さんは、なんと基礎的な読解力を調査するためのテスト、その名も「リーディングスキルテスト(RST)」を自力で開発してしまうのだ。
主語と述語の関係などを示す「係り受け」、“あれ”や“それ”などの指示代名詞が何を指すかを理解する「照応解決」、この他にも「同義文判定」や「推論」「イメージ同定」「具体例同定」などの6つの分野で構成されるテストをつくり、たくさんの学校などの協力を得ながら人々の読解力のデータを調べていった。
すると驚愕の実態が判明した。
中高生の多くが、教科書程度の文章を正確に理解できていないことがわかったのだ。これは極めて深刻な事態である。なぜならせっかく人間にはAIよりも優れている点があるにもかかわらず、その優位性の部分がウィークポイントになっていることを意味するからだ。もちろんこれは子どもたちに限った話ではなく、われわれ大人にも当てはまる。
読解力がないとどんな事態を招くか。本書を読んでいて、はっとさせられたエピソードを紹介しよう。
新井さんがテレビを観ていたときのこと。海水浴場でタレントが水着姿の女の子たちにクイズを出していた。「○○は熱いうちに打て。さて○○に入る言葉は?」という穴埋め問題である。
女の子たちは口々に「え〜、知らな〜い。何だろ?」などと言い合っていたが、そのうち一人が「悪じゃない?」と発言した。悪い奴は調子に乗る前にガツンとやらなきゃということらしい。しかも女の子はふざけているわけではなく、「いいこと言ったかも」と得意げだ。
新井さんは、この意見に他の女の子たちがあっという間に同調したのに驚く。正解を知っている者にとってみれば実にくだらない解答が、それを知らない者のあいだで、いちばん確からしい答えになっていくプロセスを目の当たりにしたからだ。
そしてこう述べる。「つまり『推論』が正しくできない人ばかりが集まってグループ・ディスカッションをすると、このような事態に陥ってしまう危険性が高いことを思い知ったのです」と。
これは極めて重要な指摘ではないだろうか。なぜなら、ぼくたちがSNSなどで毎日のように目にする誤解や曲解に基づく不毛な対立(というかディスり合い)は、もしかしたら基礎的読解力の欠如に起因するかもしれないという可能性を示唆しているからだ。
基礎的読解力の欠如の原因は何か。そしてそれを身につけるためにはどうすればいいか。気になるだろうが、ここから先はぜひ本書を読んでほしい。ただ、新井さんは誠実な科学者なので、安易な答えは示していない。そのことは事前にお伝えしておこう。
だが答えが書かれていないからといって、本書の価値はいささかも揺らぐものではない。なぜならこの本には、社会のそこかしこで生じている「分断」を解消するための貴重なヒントが詰まっているからだ。
ひとりの数学者の発見が、もしかしたら社会を変えるかもしれない。そのことに、いまぼくはワクワクするような知的興奮を覚えている。
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