クロスボーダーの案件であれば、企業文化や言語の違いなど、立ちはだかる壁はさらに高く、統合ステージにおける、実際に事業に携わる人たちの意識と努力が成功への鍵を握る。
ワイン業界でもM&Aが盛んであることは以前アメリカの例を挙げたが、グローバルな案件も多い。今回は、1983年にサントリーが実施した、ボルドーの「シャトー・ラグランジュ」の買収について紹介したい。
ワインのラベルにもなっている美しいシャトー・ラグランジュの建物(2017年10月撮影)
日本企業初のボルドー格付けシャトーの買収
今から35年前。1980年代のヨーロッパでは、日本企業は必ずしも好意的に受け入れられていなかった。その時代に日本企業がフランスの伝統的なボルドーのグランクリュ・シャトーを買収することは容易ではなく、フランス政府から案件の承認を得るにも一苦労だった。
買収が実現したあとも、苦難は続く。当時のシャトー・ラグランジュは、前オーナーがまともな手入れをしていなかったため、畑も醸造施設も荒廃していた。サントリーが買収後に大幅な設備投資をおこない、長い時間をかけて建て直しを行なった。
キーパーソンとなったのが、ボルドー大学でも醸造学を学んだ、故・鈴田健二さんだ。鈴田さんの温厚で実直な人柄に加え、在学中に築いた地元の人脈がプラスに働き、ボルドーワインの重鎮であったペイノー博士と、地元サンジュリアン村の名士でレオヴィル・ラス・カーズのオーナーであったドロン氏を顧問に迎えることができた。
もともと、ラグランジュは、1855年のメドック格付けにおいて3級に分類されるほどポテンシャルがあるシャトーだ。とはいえ、ブドウ栽培とワイン作りは長期的なプロジェクトで、すぐに結果が出るものではない。たとえば、ブドウの木は、苗木を植えてから3年ほどで果実をつけるようになるが、本来の実力を出すには、最低でも7年程度はかかる。また、25年以上経たなければ、グランクリュのワインに相応しい味わいを出さないとも言われる。
文化や伝統の壁を乗り越えて信頼を得る
ボルドーは、フランスで1、2を争うワインの銘譲地だ。階級意識が根付いた保守的な風土があり、長い歴史の上に築かれた商慣行やワイン作りの伝統がある。
サントリーは、それらを尊重し、現地に溶け込み、ワインに関係のない日本の商慣習を持ち込まないこと、不必要に「日本」を前面に出さないことを徹底した。たとえば、サントリーが買収したあとも、ワインのラベルなどに、日本企業がオーナーであることを示唆するものは入れられていない。
また、買収の条件として、地元に貢献すること、必要な投資を行うこと、雇用を守ることが文書にされた。これらをはじめとした約束を守るサントリーの姿勢は、当初は懐疑的だった地元の人にも徐々に評価され、信頼を得ていく土台となった。
経営体制も、フランス流を大事にしている。現在では、鈴田さんから引き継ぎ、サントリーから赴任している椎名敬一さんが副会長として指揮をとるが、マネジメントレベルにフランス人2人を登用し、対外的にも彼らが表に立つ体制を取る。ちなみに、鈴田さんはボルドーに20年以上駐在し、椎名さんも長期コミットする覚悟で2004年に赴任してから、今年で14年が経つ。