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2018.03.21

質の視点が欠落した「大学無償化」の不毛さ

Luftikus / Shutterstock.com

昨年末に閣議決定された「高等教育の無償化」。この政策は、大学の魅力を高める発想に欠けると指摘する伊藤隆敏氏が、改めて日本の大学が目指すべき「理想像」を考える。


今回取り上げるのは、2017年12月8日に閣議決定された「新しい経済政策パッケージについて」、第2章「人づくり革命」の中の「高等教育の無償化」(以下、「閣議決定」)での議論と決定事項。これが日本の大学の質にどのような影響を与えるかの検討を行う。

「閣議決定」では、「高等教育は、国民の知の基盤であり、イノベーションを創出し、国の競争力を高める原動力でもある」と位置づけている。これはもちろん正しい方向だ。続けて「大学改革、アクセスの機会均等、教育研究の質の向上を一体的に推進し、高等教育の充実を進める必要がある」としているが、この中の「アクセスの機会均等」と「教育研究の質の向上」は、はたして「一体的に推進」できるのだろうか。

また、「最終学歴によって平均賃金に差がある、貧しい家庭の子供たちほど大学への進学率が低い」ことから、「貧困の連鎖」があるとして、「格差の固定化を防ぐため、どんなに貧しい家庭に育っても、意欲さえあれば専修学校、大学、に進学できる社会へと改革する」と言及。その具体的な方法として、「授業料の減免措置については、大学等に交付することとし、学生が大学等に対して授業料の支払いを行う必要がないようにする」という。

さらに続けて、「給付型奨学金については、学生個人に対して支払うこととする。これについては、支援を受けた学生が学業に専念できるようにするため、学生生活を送るのに必要な生活費を賄えるような措置を講じる」と言及している。

このような議論の方向について、3つの疑問を呈したい。第一に、このような形で国立大学授業料を無償化することで、今後、国立大学が授業料を引き上げることが非常に難しくなることが予想される。十数年前の国立大学の法人化のときには、大学の自主性を尊重するということで、授業料の自由化も、視野に入っていたはずだ。

しかし、これまで授業料の引き上げを求めた国立大学はなかった。授業料を引き上げるかわりに革新的な授業内容の改革を実現する、という方向の改革はこれまで、ついに行われることはなかった。そして、今後は、「無償化」しているのだから、授業料の引上げに国は抵抗するだろうから、改革はさらに難しくなった。この授業内容改革の原資を授業料引き上げに求めるという選択肢は、永久になくなったといえよう。

第二に、そもそも日本の大学の授業料は国際標準からみると、非常に低い。表1からわかるように、国立大学(学部)授業料は、53万5,800円である。私立大学の例として慶應義塾大学を挙げると、文科系で85万円、理工学部で123万円である。一方、コロンビア大学は、約616万円で、日本の国立大学の12倍の水準だ。授業料が比較的安価といわれる州立大学でも、カリフォルニア大学を例にとると、州内出身者が157万円、州外出身者が459万円となっている。

では、コロンビア大学が学生に提供する4年間の学生生活の付加価値は、東京大学の12倍なのか、議論はあるだろうが、大きな格差があることは確かだ。


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文=伊藤隆敏

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