カンパチについても、町の人に愛されるように動いた。知人を通して紹介してもらった実績のあるミュージシャンに、カンパチ1本という報酬で作曲をしてもらい、その歌に乗せて踊る「カンパチダンス」を完成させた。市民と一緒に踊って撮影したミュージックビデオには、保育園児から漁協の漁師までが参加。福井の姿もあった。40歳過ぎの副市長が町の人と「カンパチダンス」を全力で踊るのである。
『カンパチダンス』ミュージックビデオ
カンパチもPRをするだけではない。東京や大阪の飲食店と提携し、カンパチの販売につなげた。年間約30万食を販売するセブンイレブンのおせちの半数以上に鹿屋のカンパチが使われることになり、漁協の加工場全体の売上を数%上振れさせた。
また、豚ばら丼との対決イベントで生まれた「カンパチdeリゾット」は県内のグルメイベントで優勝する。それに目をつけたファミリーマートがドリアという形で商品化し、鹿児島と宮崎の全店舗で販売した。
1次産業による地域活性化を夢見て農林水産省へ
福井は三重県の自然豊かな土地で生まれた。東大法学部を卒業後、1996年に農水省へと入省。当時、人気のあった大蔵省や自治省を志望しなかったのは、1次産業による地域活性化を志したからだ。
当時、40歳をこえていた福井が鹿屋市へ出向することは、通常のキャリアからは異例である。しかし、福井がこの話を打診されたとき、かつて夢見た1次産業による地域活性化を実現するチャンスだと感じ、首を縦に振った。
副市長であった福井と町を歩くと、明るく気さくに話しかけてくる市民が多くいた。縁もゆかりもない福井が、多くの市民の協力までこぎ着けられたのは、熱意と人間力の賜物だろう。一見派手に見える副市長は、その陰で市民に何度も接触を繰り返し、少しずつ心を動かしていった。
もしかすると、福井が残した最大の成果は、地元の資源で市民をつなぎ、市民の心を躍らせたことかもしれない。満面の笑みで福井と話す市民の顔が、確かに、そして静かにそれを物語っていた。