ビル・ゲイツもすすめる「遺伝子の旅」のガイドブック

Gettyimages.com


そもそもムカジー自身に本書を書く強い動機があった。ムカジーの伯父2人といとこが統合失調症や双極性障害などの精神疾患を発症しているのだ。精神疾患は比較的遺伝の要素が強いことで知られており、ムカジー自身が発症するリスクは一般よりもかなり高いとみられる。

精神疾患や障害と遺伝学が交差する地点で生まれたのが優生学だ。本書には優生学の信奉者たちが手を染めた目を覆いたくなるような残虐な行為の数々もしっかりと描かれている。能力的に劣っていると恣意的に判断を下された人々が、強制的に子どもを作れない体にさせられたり、命を奪われたりした。そのもっともおぞましい例がナチスであることはご存知のとおりだ。

だが優生学の暴走は人類に大きな反省をもたらしたものの、その後も遺伝子の解明は止むことがなかった。遺伝子の実体が4種類の塩基からなるDNAであること、その構造が二重らせんであることにはじまり、いまではヒトのゲノム(全遺伝情報)の解析をもとに、ゲノム自体を改変する「ゲノム編集」を行うことすら可能だ。わずか150年の間に、人類は、かつては想像もできなかったような「技術」を手に入れたのである。

「遺伝子の組み換え」などと聞くと、いまだに心理的抵抗をおぼえる人もいるかもしれない。だが遺伝子を操作する技術によって、インスリンや成長ホルモンなどの医薬品が大量に生産できるようになり、そのおかげで命を救われている人々がいることも事実なのだ。このような現実を前に、ただ素朴に抵抗感を示すだけではあまりにナイーブに過ぎる。ぼくたちはもっと遺伝子の物語について知らなければならない。本書はそのための優れたガイドになるだろう。

人類がこのように神の業にも等しい技術を手に入れることになろうとは、もちろんメンデルは知る由もなかった。彼はいつもたったひとり屋外で植物の世話をしていたが、愛用の帽子をハープにかけていて、庭に出ていくたびにポロンとハープが澄んだ音を響かせたという。ムカジーはメンデルの仕事を、共感をこめて「やさしさ tenderness」という言葉で表している。帽子をとるたびに鳴り響いていたハープの音色は、心優しきメンデルへの神の祝福の音楽だったのかもしれない。

人類が神の業を手にしたいま、ぼくらの耳もとで祝福の音楽は鳴っているだろうか?

読んだら読みたくなる書評連載「本は自己投資!」
過去記事はこちら>>

文=首藤淳哉

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事