Close

PICK UP

ゲノム解析の女性起業家が考える、私たちの未来

shutterstock.com

鶏が先か卵が先か問題は、鶏がいないと卵が生まれないし卵がないと鶏が生まれないという、因果性のジレンマの例として使われ、私が世の中で最も危険だなと思うものの一つです。

例えばビジネスにおいては、市場が大きくならないと成功事例が出ないけど成功事例がないと市場が拡大しない、とか、多くの人が買ってくれないと原価を安くできないけど安くできないと多くの人が買わない、などのシーンです。このような行き詰った状況の場合に、「これは鶏が先か卵が先かという問題だ(だから打ち手がない)」という風に言う人もいます。

しかしほとんどの場合においては、AとBはそれぞれからしか生まれないという状況は視野を狭く定義しない限り、そんなことは成り立ちません(なぜなら、本当にそうであればAもBも存在不可能だからです)。実はそこで思考が止まって悩んでしまっても、本当は解がある場合が多いです。

鶏と卵の話に戻ってみると、鶏は鶏という生物種だけですが、卵は鶏以外の鳥類も卵を産むのでどう考えても卵が先です。進化論から考えると鶏に近い種の卵から徐々に鶏という種に近づいていったということです。

このときの考え方に何が起こっているのかというと、このようなことです。


ここから言えるのは、人は無意識のうちに視野の選択を行っており、視野を自由に定義できないと、思考停止に陥りやすいということです。

同じように「AかBか」という2つの要素だけに視野を絞る二元論に落とし込むと理解しやすいので意味があるように見えますが、ほとんどの場合は思考停止しているだけで、本質ではありません。

例えば、最近は既に食傷気味の「人間vs人工知能」のような話や、「仮想通貨vs法定通貨」のような話が典型的です。その二元論で考えても真理には一生たどり着けないであろう議論を延々と続けるのは、思考停止だとしても、わかりやすいからです。

でも、本質はいつも二元論の視野の外にあります。人が取得できる情報や認識、感情は視野の選択にかなり大きく依存するにも関わらず、人は常に視野の選択に対して想像以上に無頓着であると思います。

実際はほとんどの社会的な課題や問題は複雑化していて、AかBかに投票する二元論が得意な民主主義や現在の社会の構造をとっくに超えており、危ないなと思います。複雑化する課題が増える次なる世界に向けて、問題に対する適切な視野を自由に定義できる能力が必要なのではないでしょうか。

文=高橋祥子

記事が気に入ったら
いいね!しよう

LIKE @Forbesjapan

Forbesjapanを
フォローしよう

FOLLOW @Forbesjapan

あなたにおすすめ

合わせて読みたい