内容を要約すると、「一人の時はオシャレして働き、好きなことをして自分中心の生活だったが、母親になってからはそれをすべてやめて、子ども優先の生活を送っている。母親になれて良かった」という内容を子どもに語りかけるもので、「あたし おかあさんだから」というフレーズが何度も繰り返される。
あたかも、「育児は母親の全面的な自己犠牲の上にこそ成り立つもの」というメッセージを発しているように聞こえることから、父親不在のワンオペ育児を推奨しているとの反発を呼んだ。勤労女性をバカにしている、母親にも子どもにも「呪い」をかけるものだという意見も多く見られた。
それらの批判には全面的に同意した上で、少し別の角度から考えてみたい。この歌を覆っている、無邪気過ぎる「母性愛礼賛」を取り除いてみると、「すべての時間を自分のためだけに費やす人生より、誰かのために費やす時間のある人生の方が豊かだ」という命題が浮上するだろう。そこに、(あなたを産んだ)「おかあさんだから」という条件などつける必要はないのだ。
さて今回取り上げるのは、2007年にハリウッドでリメイクされヒットした、2002年のドイツ映画の話題作『マーサの幸せレシピ』(サンドラ・ネッテルベック監督)。
人生に足りない「何か」とは
マーサ(マルティナ・ゲデック)は、ハンブルグのフレンチレストランで料理長を務める独身女性。一流の腕をもつ完璧主義者で、客のクレームにもその姿勢を崩さない頑なさから、オーナーには「街で二番目に優秀なシェフ」と言われている。つまり、一見パーフェクトに見えるが「何か」が足りないということだ。このドラマは、ヒロインがその「何か」を掴むまでの試行錯誤を描く。
キビキビ働きながらも厨房での笑顔はほとんどなく、他のスタッフと一緒に賄いの料理を食べることもない変わり者のシェフ、仕事のことで頭が一杯で、プライベートでも人付き合いを避けて過ごしている人間嫌いなキャリア女性を、マルティナ・ゲデックがやや強面の美貌で好演している。
ある時、離れて住んでいる姉クリスティンが自動車事故で死亡、マーサは遺された8歳の娘リナを引き取らねばならないはめになる。リナの父親は姉とかなり昔に別れていて、すぐには消息がつかめないうえ、マーサはリナとこれまでほとんど交流がない。
自分だけのパーフェクトワールドに、突如として転がり込んできた子どもという異物。「パパが見つかるまで」ということで始まった同居生活だが、母親を突然失ったリナは心を閉ざし、マーサの料理にも手をつけようとしない。
更に、数日ぶりに出勤してみると、見慣れぬイタリア人シェフ、マリオが雇われており、彼の陽気なキャラクターのせいで、張りつめていた厨房の雰囲気が一変している。スタッフの一人がもうすぐ産休だからとオーナーに宥められるものの、自分の聖域を侵されたと感じたマーサはイライラが収まらない。
朝はリナを学校に送り、午後迎えに行ってから出勤という生活スタイルになったマーサは、夜一人きりでいるリナを心配し子守りを雇うが失敗に終わる。はっきりと拒絶の姿勢を示し、部屋に閉じこもるリナはマーサとどこか似ている。