人間嫌いな女性シェフが、試行錯誤の果てに見つけた大切なもの

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仕事でもギクシャク、家でもギクシャクという悪循環。しこりを解きほぐそうと正面から誠実にぶつかってくるマリオに対しても、本当はマーサの愛情を求めている孤独なリナに対しても、マーサの態度は妙に堅い。さらには、アパート階下に越してきて、マーサにほのかな好意を寄せているバツイチ子持ちの建築家サムとも、いろいろとタイミングが合わない。

相手の様子を見ながら徐々にすり合わせていくという柔軟な姿勢が取れず、拒否か押しつけになりがちなのは、一匹狼の仕事人間ゆえにコミュニケーションが苦手なだけでなく、どこか独善的なところがあるからだろう。

子ども、新しい同僚、隣人は、すべての時間を自分の仕事に捧げてきた女性の生活に突然登場し、彼女を混乱させる人々である。だが彼らのもたらしているものこそ、実はマーサの人生=レシピに足りていない「何か」なのだ。

誰かと共に食べ、共に生きること

リナを一人にしておけないマーサは、学校が終わった彼女を職場に連れていくことにする。それまでほとんどマーサの食事に手をつけなかったリナは、旨そうにパスタを食べるマリオに刺激され、猛然と食べ始める。相手に食べてほしいなら、自分がまず楽しそうに食べるという基本的なことすら、マーサは忘れていたのだ。

すっかり厨房に馴染み食欲と笑顔を取り戻したリナの願いで、マリオを自宅に迎えイタリア料理を作ってもらうシーンには、完璧な料理を作ることにだけ専心していたマーサが見過ごしていた、人と共に食べることの楽しさが溢れている。

だが、リナが学校に行ってないことが判明、叱責したことでリナは激しく反発、プチ家出をして警察に保護される。「私がこの子の母親になれたら」と思いかけたのは甘かったと苦い思いを噛み締めつつも、それを振り切ってリナを抱きしめるマーサ。他人の感情とうまくつきあえなかった女が、その殻を脱ぎ捨て、やっとのことで二人の孤独な心は共振する。

誰にも踏み込まれない自分一人の世界が何より大切だったマーサの中に生じた、「リナのそばにいてあげたい」という感情。それは犠牲的精神などではないだろう。降り掛かってくるさまざまな厄介事よりも、自分の愛情を求める小さな者と共に眠り、共に食べ、共に生きることの喜びが勝ったのだ。だが8歳の女の子に初めて出会った時、そんな感情に囚われるようになるとは、マーサは夢にも思っていなかっただろう。

マーサのピンチを救ってくれる子ども好きの気のいい男は、階下の建築家サムとシェフのマリオだが、とりわけマリオの存在が大きい。

彼が深夜に差し入れてくれたスープを、マーサが目隠しして味わい、何が入っているかを当てる微妙にエロティックなシーンは、彼女が自分のこれまでの人生をじっくり顧みつつ、「私に足りなかったのは愛することだ」と自覚する、象徴的な場面と言えよう。

だからこそマーサは、迎えに来たリナの父親に万感の思いでリナを託しはしたものの、「すべての時間を自分のためだけに費やす人生」ではなく「誰かのために費やす時間のある人生」を選び直すべく、行動を起こしたのだ。

エンドロールが流れる中での幸せなシーンはやや出来過ぎな感じがしないでもないが、不器用な女が辿り着いた人生の再出発を見守り、祝福したい気持ちで胸が満たされる。

映画連載「シネマの女は最後に微笑む」
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文=大野左紀子

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