「ご冗談でしょう、ファインマンさん」に出てくる、有名なエピソードである。
コインチェック騒動にしても、マウントゴックスにしても、海外の類似の事例にしても、起こっていることは、「仮想通貨の暗号が量子コンピュータで破られた……」といったハイテクなお話ではない。
仮想通貨の暗号自体はしっかり作られていたとしても、その鍵を一人一人が管理するには相応のコスト(手間ヒマなど)がかかる。だから多くの人々は、現実には仮想通貨をどこかに預けてしまうという対応をとることになる。
現在注目を集めている仮想通貨の問題は、実は、大昔から金融の世界で起こってきたことの方に良く似ている。すなわち、「誰かを信頼して何かを預けた」ことによる問題である。「預ける」以上、リスクの観点から最も大事なことは、預ける「モノ」自体がハイテクかローテクかよりも、「預かった人が、信頼通りきちんとやってくれるかどうか」ということになる。
また、預けるモノについて、それがハイテクか否かよりも本質的な問題は、それに「名前」が書いてあるのかということだ。
金融の世界では、預金にしても有価証券にしても、預けるモノ自体には名前など書いていないし、そもそも混ぜてしまうとわからなくなるモノが殆どである。そして、そういうモノだからこそ、「分別管理」が求められることにもなる。(もしも預けたモノに預けた人の名前が書いてあるならば、そもそも分別管理する必要はないはずだ。)
だからこそ、金融規制や監督によって、名前の書いていないモノを預かる主体に対し、それだけ高い信頼に応え得る態勢を作ることが求められてきているのである。
仮想通貨取引に参加する人々は、その価格変動などのリスクを十分理解する必要があることはもちろん、「名前の書いていないモノを預ける」ことの意味も、よくよく認識することが求められる。
ICOとサブプライム
また、仮想通貨を用いる資金調達であるICOについても、世界的な監視が強まっている。この中での国際的な関心の一つは、「ICOの多くは、資金と証券の交換を避けることで証券規制を免れることを狙っており、これをハイテクのイメージで飾っているだけではないか」というものだ。
ハイテクのイメージと言えば、思い出されるのは10年前のグローバル金融危機の際に問題となった、サブプライム住宅ローンを組み込んだ複雑な証券化商品である。サブプライムも、そのハイリスク性が、(ICOではなく)「IO(Interest Only)」という、一見洒落た名前で飾られていた。
また、これを組み込んだ証券化商品についても、その複雑性が、むしろ「高度な金融技術」のイメージを通じて、多くの人々の投機を煽る方向に働いたことが、後々問題視されることとなった。このような歴史の経験は、金融イノベーションがいかに進んでも、リスクの芽は人間の惰性や煽情、群集心理など、昔ながらのところにあることを示している。
ファインマン先生の別の著書「困ります、ファインマンさん」では、スペースシャトル・チャレンジャー号事故の原因を鮮やかに解き明かしたファインマン先生が、宇宙のロマンを過大に宣伝しリスクを過小に見せようとする人々の姿勢を、サイエンスの目から厳しく批判している。
仮想通貨やICO、その他のハイテクを謳う金融商品についても、地球や宇宙に優しい等々の大仰な宣伝文句に目を奪われることなく、我々として、使われているテクノロジーが、目の前の具体的問題を本当に真摯に解決しようとしているのかをしっかり見ていくことが、イノベーションの真の発展につながっていくのだと思う。
日銀決済機構局長 山岡浩巳氏による連載
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