人生のすべての記憶[田坂広志の深き思索、静かな気づき]

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大学時代のこと。登山部に所属するある友人が岩登りをしていたとき、危険な岩場で、滑落事故に遭った。仲間の見ている前で、彼は、足を滑らせ、岩の斜面を、谷底に向かって滑り始めた。 

その瞬間、誰もが、命を失う事故になると、固唾を呑んだ。しかし、次の一瞬、彼は、岩場に生えていた小さな灌木に引っかかり、九死に一生を得て、命拾いをした。その友人が、この滑落の瞬間を回想し、こう話してくれた。

「あれは、本当だった。もう命が無い!と思った瞬間、人生の様々な場面が、一瞬にして甦り、頭の中を、走馬燈のように駆け巡っていった」

たしかに、昔から、人々の言い伝えで、「人生の最期の瞬間に、その人生のすべての場面が、走馬燈のように駆け巡っていく」と語られてきた。また、同様の心理現象が、英米では、「フラッシュ・バック」という言葉で語られてきた。

しかし、この友人が証言したように、もしそれが真実であるならば、自然に、一つの問いが、心に浮かぶ。

「我々の心の奥深くには、人生のすべての場面が記憶されているのか。さらには、人生で触れたすべての情報が記録されているのか」

おそらく、この問いに対する答えは、「しかり」であろう。なぜなら、世の中には、ときおり、「フォトグラフィック・メモリー」と呼ばれる能力を持った人間が現れるからである。

すなわち、人生で目撃した場面を、あたかも写真を撮ったかのごとく、詳細に、そして、正確に記憶している人物がいる。されば、我々の心の奥深くに、人生で見たすべての場面が記憶され、人生で触れたすべての情報が記録されていたとしても、少しも不思議ではない。

しかし、ここで、さらに深い問いが心に浮かぶ。

「では、なぜ、我々は、その能力を、日常的に発揮できないのか」「では、なぜ、我々は、忘却という形で、記憶を取り出せなくなるのか」

もし、この問いに対する答えを得ることができたならば、そのとき、我々は、人間の心の奥深くに眠る素晴らしい能力を解き放ち、想像もできない可能性を開花させることになる。

かつて、弘法大師、空海は、厳しい密教の修行を経て、驚異的な記憶力を発揮したと言われる。また、音楽家モーツアルトは、14歳のとき、九声合唱曲を一度聴いただけで記憶し、楽譜に書き写したと言われる。

これら「天才」と呼ばれる先人の姿。それは、決して、何か、特殊、特別、特異な人間の姿ではない。それは、決して、我々と遥かかけ離れた人間の姿ではない。

これら先人の姿が教えているのは、我々人間の誰もが、その心の奥深くに、想像を超えた力を宿しているという事実。では、その力が解き放たれたとき、何が起こるのか。 そのとき、人類の「前史」の時代が終わる。

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文=田坂広志

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