【落合陽一 徹底解説・後編】「サピエンス全史」続編から見える日本の勝ち筋

邦訳版未発刊の『HomoDeus』


このように根源的な東洋観を持つ僕たちがいち早くシンギュラリティに気づくことができるのはアドバンテージになるでしょう。シンギュラリティを見つけたら、取るべき選択肢は二つ。プラットフォームを作るか、プレイヤーになるか。

ユーチューブというプラットフォームを作ってもいいし、ユーチューバーになってもいい。またはICOするためのプラットフォームを作ってもいいし、個人でICOをしてもいいし、その取引をしてもいい。その鋭い嗅覚が僕たちには備わっているはずです。潮目の変化を感じ取ったら、西洋的価値観が立ち往生している間に、東洋的価値観と西洋的価値観を併せ持つ我々はすぐに動き出した方がいい。

過去を振り返れば、日本が西洋に先行していたものは数多くあります。同質性によって普及が早かったものが多いのです。例えばiモードに2ちゃんねる、mixiからニコニコ動画まで世界に先駆けた革新的なサービスがいくつもありました。10年後には日本発ではないニコニコ超会議が世界のスタンダードになっているかもしれません。

なぜかといえば、日本はこれまで「時代の潮流から早すぎた」の一言でグローバルスタンダードになることを諦めてきたからです。未来を見通し、投資を集めて体力を持続させるべきだったのにも関わらず。先行投資型で資本を投入し続けていれば、今でもAndroidやAppStoreと同様の基軸でiモードを持っていたのではないでしょうか。

仮想通貨に関して言えば、世界のなかでも突出して張れている方なのではないかと思っています。事実、日本のビットコイン取引所「bitFlyer」は取引量で世界一位を誇っていますし、仮想通貨に関わる法制度の整備もスムーズに進んでいます。

「失われた東洋」を取り戻せ

「失われた東洋を取り戻せ」──。そんなメタメッセージを発しながら、『Homo Deus』を批判的に読解してきました。西洋的概念と思考体系は、物事を対立構造で捉える嫌いがあることが浮き彫りになったのではないでしょうか。差異に自覚的になってイシューを分断した結果、解決には向かわず局所最適に陥ってしまうのです。

それでも、「日本人も西洋的個人観をコンテクストに生きてしまっているのではないか?」との指摘もあるでしょう。だからこそ、ここから数年の一大テーマは、「日本人が失った『東洋』を取り戻し、西洋的個人観と東洋的個人観の中に多義性や両義性を持つこと」になると思っています。

明治にヨーロッパを接ぎ木し、昭和にアメリカを接ぎ木した日本。たとえば、刑法はドイツで民法はフランスで生まれました。僕らが何気なく普段使っている、言葉のなかにも西洋化の影があちこちに見えます。

無理に「コンプライアンス」や「ガバナンス」、あるいは「イノベーション」といった概念に擦り寄る必要はありません。僕はイノベーションをしばしば「マンボウの産卵」に喩えます。マンボウは多くの稚魚を産卵しますが、成魚になれるのはごく一部。イノベーションも本来は、東洋的で創発的なもののはずなのです。

今後、東洋が西洋を内包し、両義的なアップデートを行っていくために、こうした差異に対して敏感になる必要があるでしょう。東洋的認識や価値観に自覚的になることが、逆にいうと西洋的個人主義の閉塞感のアップデートにつながっていくのです。

西洋的価値観がプリセットされた西洋人は、この超克に時間がかかるかもしれません。逆に輸入することで西洋化した我々は一人称と三人称を感覚的に行き来することができ、あちこちで勃興し始めているシンギュラリティに敏感になれるし、インターネットを東洋的にも捉えることができる。神なき合理性を求め、「失われた東洋」を取り戻していくことができるかもしれません。

そういった意味でこれからのコンピューター社会における両義性や多様性理解が日本社会では進みやすいのではないか、その立ち戻るきっかけになる本として読むと、大きな含蓄が得られるかもしれません。

文=落合陽一 構成=長谷川リョー

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