『サピエンス全史』続編から見える“日本の勝ち筋”


たとえば、個人が株式会社のように擬似株式を発行し、ビットコインで資金調達を行うことができる「VALU」や専門家が10秒単位でリアルタイムに時間を取引できる「Timebank(タイムバンク)」といったサービスはその潮流を捉えた端緒に過ぎません。そこで生じる時価総額という概念は一体どういう金融資産として扱うべきか、ここにまだ結論は出ていません。

しかしながら、今後は時間以外にも、あらゆるものが金融資産としての価値を持ち始めていきます。つまり銀行が法定通貨をベースにものを考え、査定せずとも、民主的に信用創造がなされていくのです。

僕が信用創造のシンギュラリティを確信したのは、VALUやタイムバンクといったサービスが流行し、ビットコインがビットコインキャッシュとハードフォークしたにも関わらず、価格が下がらなかったような事象が多く生じ始めてきたからです。通常、供給量が同じものが二倍に増えたら、価格は下がるはずにも関わらず、ビットコインはその価格を下げませんでした。

これを目撃したとき、「ハードフォークを繰り返しても価格は下がらない。価値のあるものは増え続ける。つまり信用創造はシンギュラリティに至った」ことを思い知らされたのです。

『サピエンス全史』から一貫してハラリは、認知革命に端を発する虚構を集団的に信仰することで人類は持続的に繁栄してきたと主張します。

「BoE」が示唆するのは、信用のネットワークさえも市場価値として外在化することが可能であるということ。信用に基づいて価格をつけるという原始的な現象も、現在では客観的なネットワークの上に乗せることで非中央集権化しています。

そもそも使いたいネットワークと使えるものに対して合理的な価格付けをするのが東洋的な価値観なので、こうした信用創造状態とも僕らは親和性が高いはずです。

iモード・2ちゃんねる・ニコニコ動画・mixi─私たちはシンギュラリティへの嗅覚を備えている

信用創造の他にも、「WWW(ワールド・ワイド・ウェブ=出版のシンギュラリティ」、「グーグル検索=私たちの脳検索のシンギュラリティ」、「ユーチューブ=コンテクストのシンギュラリティ」などシンギュラリティを迎えている領域は少なくありません。つまり、近代的制度がコンピューターによって超克され、今までの個人としての権利意識や制度設計では概念を理解できなくなってきた分野をシンギュラリティと呼べば、あらゆるところに特異点は存在しているのです。

このように我々の世界のあらゆるところに業態や概念別に個別のテクノロジカルシンギュラリティ(技術的特異点)が生起しているにも関わらず、西洋世界にシンギュラリティが来ていないように見えるのはなぜでしょうか。

それは人間(個人)が克服されない限り、大きな変化が起こった、個人が「負けた」と彼らは思わないからです。一元的にしかシンギュラリティを捉えられない西洋世界に対し、東洋世界に生きる我々は、要素別にシンギュラリティを捉えることができます。これは決定的に重要な点です。我々にとって個人という概念すらも後から輸入して獲得した概念であり、試行錯誤して得られたものではないからです。

本来シンギュラリティは西洋の論理を超えた先にあり、私たち東洋人が理解しやすいもののはずにも関わらず、「シンギュラリティはコンピューター・アビリティに基づくもので、2020〜2050年までやってこない」と未だ捉えている日本人は少なくないのが現状です。それは中途半端な西洋化によって靄がかけられているからで、ある種の伝言ゲームに陥ってしまっているからに他なりません。この伝言ゲームを廃し、コンピューターや技術革新による制度設計の見直しを行っていくことが我々の社会にとってとても重要なことなのではないでしょうか。

文=落合陽一 構成=長谷川リョー

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