【落合陽一 徹底解説・後編】「サピエンス全史」続編から見える日本の勝ち筋

邦訳版未発刊の『HomoDeus』


この思想はまさにエンドトゥーエンドの考え方そのものに他なりません。例えばエンドトゥーエンドの学習手法と呼ばれるディープラーニングは、入力と出力の関係性を定義することなく学習させるような手法です。統計的に学習された全体のニューラルネットワークから単語一つを取っただけで、その蓄積から画像を生成します。また逆に画像から単語を作ることもあります。

一は全になり、全は一になるような変換のためにニューラルネットワークを訓練している。エンドトゥーエンドという考え方は他にもクラウドサービスやWebサービスのあらゆるところに出てきます。結局、中間過程をすっ飛ばして、ボタン一つで目的をなしたり、データの蓄積から、その解決策を探したり、部分と全体を行き来するためのITサービスが今この社会には日進月歩で増えています。

それはつまり、直感的な例では、俳句を詠んだだけで絵が浮かぶかどうか。反対に、浮かんだ絵を俳句に戻せるか。「古池や蛙飛びこむ水の音」と聞けば、僕たちはその絵を思い浮かべることができます。ここで重要なのは言語でも絵でもなく、言語と絵が同時に変換可能な中央部分を探ることです。今までは均質性を持った文化的修練からしか獲得できなかったこの力が、統計的な処理や、エンドトゥーエンドのサービスデザインや、機械学習の上で実現するようになっています。

そのためエンドポイントとエンドポイントの変換が鍵になる、機械学習を用いたロボティクス分野で日本は強みを発揮できるはずです。これは先に述べた「物化」の概念に通貫していますし、他にもITの物質性に関わったサービス全般で優位性を生かしていけるでしょう。

僕たちは何も、二番煎じのタイムマシン経営をする必要ありません。ただ、「自分たちのコンテクストの半分はオリジナリティが西洋にはない」ことを強く認識することが重要なのです。その理解はサービスデザインや社会デザインにとって大きな意味を持つことになるでしょう。

シンギュラリティはすでに起きている

『Homo Deus』のなかで、ハラリは自らが構想する未来像の論をバックアップするため、未来学者であるレイ・カーツワイルの名前を何度か挙げています。

カーツワイルの代表的な著書『シンギュラリティは近い(The Singularity Is Near)』のなかには、「脳の毛細血管に数十億個のナノボットを送り込み、人間の知能を大幅に高める」や「脳をスキャンしてアップロードする」といった記述があります。バイオケミストリーの進展と人間のリエンジニアリングによって「超人」へ到達するといった展望は、まさしくハラリが措定する「ホモ・デウス」という存在に符合するといえるでしょう。

ここではまず、「シンギュラリティ(技術的特異点)」という概念に対する僕の捉え方を明示しておきます。

「シンギュラリティは近いのではなく、もうすでにポコポコと起こり始めている(Singularity is not near but sporadically occuring)」──。これが僕の基本的なスタンスです。

例えば金融資産や貨幣についての信用創造がすでにシンギュラリティに突入しているのを例に説明していきましょう。状況を端的に表現するため、僕は最近「BoE(blockchain of everything)」という言葉を用いています。

これまでは銀行を介した貸付と返済を繰り返すことで、金融価値を増やしていくのが信用創造のあり方でした。今ではブロックチェーンによりあらゆるものが結合したことで時間や空間も金融資産化し、信用創造が無限スパイラルに突入しています。
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文=落合陽一 構成=長谷川リョー

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