東京にマイホームを購入したばかりのサラリーマンだったが、妻と話し合いながら、つねづね抱えていた疑問を解消するため、迷わずスウェーデンへの移住を選択した。周囲からはいろいろなことを言われたが、私と妻には何の不安もなく、そして決意も固かった。
スウェーデン移住を決意するまで
2015年の夏、長女がちょうど2歳の誕生日を迎える頃だった。妻とは必然的に幼稚園や将来の教育、学校は私立なのか公立に通わせるのかをよく話していた。私たちは、長女には国境に関係なく、グローバルに活躍して欲しいと考えていた。
では、具体的にどうすればよいのか。塾に通わせ、受験という日本型偏差値教育をそのまま受けさせて幸せになれるのか。私たちはどうしても納得が行かなかった。
私はBMWジャパンに勤務していて、ドイツ本社へ出張することが多かった。その度に、ミュンヘン郊外の同僚の家に泊めてもらっていた。同僚とオフィスを後にするのは毎日16時頃だ。
そこで自分の娘と同じ年齢の子供たちを見た時に、疑問が確信に変わった。この国には受験も塾も偏差値もない。平日でも父親と遊べる。こういう環境で育った人間がBMWやベンツをつくっている……。同じ工業大国なのにこの違いは一体何なんだ。娘をこういう環境でのびのびと育てたい。そう考えたのだ。
ドイツ出張に家族を同行し、同僚宅を訪問。この日をきっかけに漠然と海外移住を考えるようになった。
帰国後、東京に住むスウェーデン人の友人に自分の思いを聞いてもらっていた。ある日、彼からリンクが貼り付けられたLINEが送られてきた。帰宅途中の山手線内でそれを開いてみると、スウェーデンの企業、自動車業界では有名な部品メーカーの求人だった。求人のタイトルは「Quality Conscious Design Engineer」だった。
私は、新卒でホンダに入り、9年間、2輪車の車体設計(Design Engineer)に従事し、その後BMWジャパンに移り、品質保証エンジニア(Quality Engineer)として2年目を迎えていた。求人の内容を読むと、私のキャリアに見事にマッチしていた。
求人を見て、常時アップデートしてある職務経歴書をメールで送付するまで10分とかからなかった。キャリアには自信はあったし、ドイツ人と働いていたこともあり、地理的に近いスウェーデンでやれる自信もあった。
ただ、相手側の企業が、東京に住む家族持ちを雇うことはないだろう、と半信半疑で、返答があったら真剣に考えればよいくらいに思っていた。この時点では、妻には一言も相談をしていなかった。
履歴書を送付した翌日、早速Skypeで面談をしたいと返信があった。ここでようやく妻に話をしたのだが、彼女はあまり驚いていなかった。妻とは普段からドイツや北欧の教育制度や税制、ワークライフバランスなどについて話し合い、図書館で借りてきた教育関連の本も一緒に読み漁っていた。妻としても、男女平等社会が世界トップクラス、移民の受入れに柔軟なスウェーデンに好印象を抱いていた。
Skype面接までの数日間、夫婦でスウェーデンについて徹底的に調べ上げた。ネットでの情報、本の内容をスウェーデン人の友人に確認する作業も続けた。こうして移住へ向けての現実的なストーリーができ上がっていった。