世界で戦ったヒーロー、盛田昭夫|出井伸之

クオンタムリープ代表取締役 出井伸之氏


トップとの交流から学んだこと

私は、フランス駐在時代に盛田さんと相当意見を交わしている。パリ・シャンゼリゼ通りのショールームのオープン、ソニーフランスの設立、とにかくあらゆる場面で自分の考えを伝え戦いながら実行してきた。駐在員としてはかなり目立っていたことは間違いない。それが理由かはわからないが、当時雲の上の存在であった上司と次第に親交を深めていった。

欧州から帰国した私を、盛田さんはゴルフやテニスなど休日遊びのパートナーに指名した。一緒にプレーしながら実に様々なことを教わった。

「これから転勤もあるだろうが、初めてで何も知らないがよろしく、なんて絶対言うな。10年級のベテランのように自信のある態度を取りなさい。部下は新人なんて望んでいない。あらかじめ勉強してリーダーシップを取りなさい」とまだ30代前半だった私に言った。またある時は「明日ゴルフに行くぞ」と急に誘われ、一緒にプレーさせてもらったので、今では、思い出のゴルフ場スリーハンドレッドクラブに若者を誘っては恩返ししている。

スピーチの前になると、箱根の盛田家で練習相手をすることもあった。原稿を見ないでスピーチする盛田さんになぜかと尋ねると「女性を口説く時に原稿を読むやつがいるか。相手の心を掴まないとダメなんだ。スピーチも、人と会う時も、始めの30秒が勝負だ」という実に彼らしい言葉が返ってきて私は大いに納得した。

フランスの出張では、ボルドーにあるロスチャイルド家のぶどう畑まで二人で足を延ばしたことがある。一通り見終わった時なぜかがっくりしている盛田さんに声をかけると、「実家でワイン造りに苦戦するお祖父さんへのヒントを探しに来たのに、重要なのは水と土地と気候で他に特別な何かはなかった」と肩を落としていたのだった。

とにかく、好奇心旺盛でやんちゃで自由奔放な人だった。

引き継がれる「Made in Japan」スピリット

私は1995年にソニーの社長に就任し、Made in Japanの続編を描いていくように、盛田さんならこう実行すると信じてあらゆる事業を進めた。ソニーのスピリットを受け継ぎ、“デジタル・ドリーム・キッズ”そして“リ・ジェネレーション”を掲げ、次々に生み出される新しい技術とともにグローバリゼーションや多角化を行い、会社をさらに大きくさせた。

私が経団連に入った時、豊田章一郎さんと30分程度話す機会があり、帰り際に「あなたは盛田さんに考え方が似てるね」と言われた。実に嬉しかったことを覚えている。

世界と戦ってきた盛田さんが亡くなった時、私は記者からのインタビューで「盛田さんは僕のヒーローです」と答えている。戦後、3人のエンジニアが新しいパラダイムにどう挑むかというところから始まり、自由でオープンなカルチャーを持ったソニーという村ができ、そこに入ってくる人たちに惜しみない愛情を注ぎ知識や情報を共有し村全体で育ててきた。ちょうど今の日本が形成された時代でもあり、ソニーが世界の中での日本のポジションを築き上げた企業の一つであることは間違いない。

そしてソニーのスピリットとカルチャーは、今も世界で受け継がれ、人から人へ広がりパワーを与え続けている。21世紀のネクストパラダイムにどう挑むのか、今後のソニーが楽しみだ。

インタビュー=谷本有香 構成=細田知美 撮影=岩沢蘭 取材協力=Quantum Leaps Corporation 撮影協力=Tokyo Midtown Union Square Tokyo

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